配っていたのは、お金ではなく信用だった。コザスタートアップ商店街、「道先案内人」の10年—フォーシーズ株式会社代表 豊里健一郎氏インタビュー(前編)
沖縄市コザ。米軍基地の門前町として栄え、いまも英語の看板とエイサーの太鼓が同じ通りに並ぶこの街の商店街に、2016年、小さなスタートアップ支援施設が生まれた。それから10年。人通りの途絶えていたアーケードは「コザスタートアップ商店街」と呼ばれ、年に一度のカンファレンス「KOZAROCKS」には5,000人を超える人が集まるようになった。
その中心にいるひとりが、フォーシーズ株式会社代表の豊里健一郎さんだ。コザに生まれ、15歳から中国で15年を過ごし、2017年に帰郷。スタートアップ支援拠点の運営を引き継ぎ、2025年には沖縄発のベンチャーキャピタル「津梁(しんりょう)ファンド」を立ち上げた。
企業の人的資本経営は、どうしてもスキルと成果の話になりがちだ。だがコザでこの10年に起きてきたのは、それとは少し違うことのようだ。信用を配り、機会を配り、そこに積み重なった物語を配る。豊里さん自身は「人的資本」という言葉を使わない。それでも、人的資本を社会で分かち合うとはどういうことかを、この街ほど具体的に見せてくれる場所は少ない。
前編では、「配る人」としての10年を聞く。後編では、配ってきた本人が口にし始めた次の挑戦と、11月20日に再開催されるKOZAROCKS 2026に向かう。

豊里健一郎氏
沖縄県沖縄市出身。 留学、就職と15年間の海外経験を経て、2017年に現フォーシーズ株式会社を設立し、起業家支援を開始。創業支援、人材育成、コミュニティ運営等、沖縄のスタートアップ支援の中核拠点を運営し、沖縄とアジアを繋ぐスタートアップエコシステムに貢献。
「地域のために」と言い始めたのは、去年からです

―― 2016年にこの商店街の一角にスタートアップカフェができてから、10年になります。いま振り返ると、どう見えていますか。
行政の事業から始まったのに、行政の取り組みらしくない、尖った施設を商店街の中に始めたな、と思います。僕は途中から「Startup Lab Lagoon」という名前にリブランディングして代表を務めましたが、あの施設がなければ、海外に住んでいた僕が地元に戻って新しい挑戦を始めようとは思わなかったでしょう。まず、始めてくれたことへの感謝があります。
バトンを引き継いでから意識したのは、エコシステムをつくることでした。大学、金融機関、事業会社といったあらゆるプレイヤーが起業家の挑戦を支えられるプラットフォームが、当時はありませんでした。それをつくりながら挑戦者に寄り添ってきました。そこから、イベントなのかカンファレンスなのか言語化しづらいKOZAROCKSが生まれ、いま商店街には新しい建物も建ち始めています。いろいろ広がってきたな、という感覚です。
―― 原点に戻らせてください。15歳で海外に出られた頃、地元はあまり魅力的に見えていなかったということですか。
留学のきっかけは親でしたが、成長著しい中国に身を置いて、自分がいるべき場所は成長している国だと思っていました。そこから見ると、地元も日本も伸びていなくて、魅力は感じませんでした。
ただ、自分が生まれ育った商店街でスタートアップ支援が始まったと聞いて、「一回戻ってみるか」と。本当に軽い気持ちでした。
―― 「よし、やったるぞ」ではなく。
全然です。むしろ、沖縄からならLCCが安いので、ここで起業の準備をして香港か台湾に拠点を移そうと思っていました。2017年に帰ってきた時点では、勝負するマーケットは海外だと考えていましたし、いまのように「沖縄のために」「商店街を背負って」といったことは、1ミクロンも考えていませんでした。
―― 外から見ると、戻られてから一貫して歩んできたように見えます。
そんなことはなくて、だんだんと、です。実は去年ぐらいまで、僕は「地域のために」という言葉を使っていませんでした。商店街を勝手に「スタートアップ商店街」と名付けて入居者を集め、民間事業としてやってきました。入居するスタートアップにも、地域のためではなく、自分の事業が成長できる環境としてこの場所を使ってほしいと思っていました。コザという街のポテンシャルは自然に使っていましたが、そこに打算はなかったんです。
ここ1年で、街の将来の青写真を描けるだけの体力と力がやっとついてきて、街をこうしたい、沖縄をこうしたい、産業をつくりたいという志が大きくなってきました。そういう順番なんです。
配っていたのは、お金ではなく信用だった

―― 津梁ファンド設立のリリースに合わせて豊里さんが書かれたnoteにあった「地域のために、地域を超えて」という言葉を、いまも覚えています。あれは「やっとここまで来た」という感覚でしたか。
そうですね。それと、地域のスタートアップ支援には全国どこでも同じ議論があるんです。地方の支援機関が東京の事業者に委託して、地域には何も残らないという構図です。「東京が悪い」という話になりがちですが、それはミスリードで、危険だと思っています。
どう捉えているかというと、僕らはエコシステムで支援をしながら、外から優秀なスタートアップを呼び込むために旗を掲げ、中のスタートアップには外に挑戦していってもらう。その中で、リターンや知見や人を地域にきちんと分配しなければいけないのに、それができていなかっただけ。実力不足なんだと思うんです。
支援を続けながら、なぜ投資できるのは外の投資家ばかりなのか、なぜ地域にアロケーターがいないのか、と考えていました。VCとはアロケーター、配分する人だと思っています。地域から資本を預かって挑戦者に投資し、リターンを預けてくれた人に返し、次の挑戦者へ配分する。それには、地域に意思を持ってイニシアチブを取れる人が必要です。いない地域は「搾取されている」と言われがちですが、搾取ではなく、アロケーターが不在なだけなんです。地域がアロケーターを育んでこなかったことのほうが、僕には課題に見えました。だからファンドをつくったんです。
―― 環境設計が不十分だったから、易しい構造に流れただけだと。僕がこの10年に注目したいのは、その「配る」が資金だけの話ではないことです。人も知見も、大きく言えば文化も、コザの内と外で循環させようという意思を感じます。
そうなっていますよね。なぜだろうと考えると、僕が最初からずっと意識していたのは、自分は地域の道先案内人だ、ということでした。
僕がコザでこういう挑戦をするのは、正当化されやすかったと思うんです。よそ者が商店街の名前を勝手に変えて「スタートアップ商店街」と言い始めたら、どこかタブーに触れてしまう。でも僕がやれば、地域は「まあ、あいつなら」となります。だからこそ、外から来た人にその信用をお貸しして挑戦してもらい、またどこかへ挑戦しに行ってもらう。そこに徹してきたと思います。
イノベーターを集めるのが地域の役割ですが、多くのイノベーターは地域ではやりづらいものです。文化や歴史や文脈があるところに、白紙にしてどんどんやれというのは無理があります。この通りにいる人はほとんど県外出身で、最初はみんな信用もお金もありませんでした。大家さんを紹介するのも、銀行を紹介するのも、裏側で全部僕らがやっていました。それを、帰っていった人たちが横のつながりで広めてくれて、コザのナラティブができてきたんだと思います。
実は2022年から、僕は創業支援の現場を離れています。Lagoonはいま別の会社が運営していて、僕ができなかった女性の支援やスモールビジネスへの伴走を、手触りのある形でやってくれています。自分の意思だけでやらない、ということは大きくて。Lagoonの頃から、いい意味で、社会資本を預かっている感覚だったんです。事業会社なら普通は自分のものにして利益を上げようとしますよね。でもこのあたりのことは、自分の会社のものでも自分のものでもなく、預かっている、という感覚のほうが強いんです。
―― コザ出身であることの特権性を自覚的に使い、それを配っていく。配られた側には「おかげで」という感覚も残るのだと思います。
みんな、そんなに恩には感じていないと思いますよ(笑)。恩着せがましく言わないことも大事だなと思っています。
―― それも分かります。恩着せがましさは一切ない。でもそこで育まれている絆は、言葉にすれば社会関係資本と呼ばれるものだと思います。この商店街で育まれているのはそういうことなんですよ、と外からは感じてしまうものがあると思います。
求めないから、セレンディピティが起きる

―― 相互扶助の文化、挑戦者を育てる土壌はどのように育まれていったのでしょうか。設計を超えたところで結果的にそうなった、ということも耳にしました。
これまでは、それで良かったんだと思います。「こういう人に来てほしい」「こういう人にお金を使ってほしい」と打算的に選んでいたら、こうはなっていなかったでしょう。KOZAROCKSには県内外から挑戦者やイノベーターが集まりますが、それを自社の入居や売り上げにつなげようという設計は、あまりしてきませんでした。
だからこそ、みんなセレンディピティを感じたのだと思います。上場企業の役員や有名な創業者もたくさん来てくださいますが、特別扱いはしていません。肩書きのないフラットな付き合いができる場所を心地よく感じてくれているようです。僕らはリターンを求めませんし、好きな者同士で何か新しいことに取り組めばいいし、取り組まなくてもいい。自然と「仲間になってるよね」という感覚です。いまも変わりません。
多くの場所は何かを求めるじゃないですか。コザに来たら案件につながるのか、対応した分のリターンはあるのか。ただ、いよいよ会社としてきちんとリターンを生み出さなければいけないフェーズを迎えていると感じます。なぜこれをやっているのか、事業としてのシナジーも出していく必要があります。いま、その狭間にいます。
―― 難しいところですね。
難しいなと思います。でも、僕にとっていま大事なことでもあるので、逃げずに向かっていきたいと思います。
―― 7月のKOZAROCKSは台風で一部が中止になりましたが、交流会には人が集まり、11月に再開催しようという流れになった。リターンを期待して来ている人なら、中止と聞けば「だったらいいや」になりかねない。それをそうさせていない力があるように見えます。集まっている人たちは、豊里さんからどう見えていますか。
強いWILL(願望)を持っている人が多いな、と思います。やりたいこと、したいことがあって、そのためにここにいる。そういう人たちが集まって、いい意味で押し付けず、いい距離感で、価値観の違いを受け入れられる。それが僕が一番残したい、大切にしたいカルチャーです。
何もない街にある、チャンプルー文化
コザはアメリカと沖縄の文化が混ざってできた街です。少し歩けばアメリカ人のコミュニティがあり、フィリピンの人やインドの人がいて、同じ街の中で混ざりきらず、少し距離を置きながら生きてきました。でも共通しているのは、みんな何かに挑戦しにこの街に来ていることです。共生社会のど真ん中で生きてきたわけです。
日本もこれからの成長で、外国人との共生は避けて通れないと思います。でも各地で軋轢が生まれています。孤立させれば良いことは起きませんし、声の大きい人の意見で排斥が強まれば、次の成長はないと思うんです。僕は多様性を信じていますし、共生社会のど真ん中でやっていきたいと思っています。
―― それはご自身の生い立ちや、中国での経験も。
それもありますし、コザがそういう街だったということも大きいです。戦後の混乱の中で、祖父は英語を覚えて通訳をし、どこから来たのか追えないほど何もない状態から、みんな家を持ち、店を持ち、母も商店街で商売を始めて家を建てました。ギター1本でドルを集めたアーティストも出ました。いろんな人を生み出してきた街なんです。
―― KOZAROCKSに外から来た人が、この街の特別さに言及することが本当に多い。そう評されることをどう受け止めていますか。
嬉しいし、ありがたいです。外の人に興味を持ってもらうことは、地域が一番やるべきことですから。ただ、他の地域は「うちの日本酒が」「うちのものづくりが」と、プロダクトが強いんですよ。コザには何もありません。海も世界遺産もプロダクトもない。
あるのはミックス文化、チャンプルー文化そのもので、そこから生まれた食は確かにあります。ゴーヤーチャンプルーのポークは米軍から、タコライスはタコスから、締めのステーキもそうです。沖縄そばは中国から来て、琉球ガラスはアメリカ人のビール瓶から生まれました。全部、多様性が生んだものじゃないですか。それを否定する理由は、僕にはひとつもありませんでした。
―― 東京では浮いてしまうような人が、ここでは馴染んでいる。懐の深さのルーツは、そこにあるのかもしれません。
編集後記
軽い気持ちで帰郷し、勝負は海外だと思っていた人が、地元出身という信用を外から来た人に貸し、裏側で大家と銀行を紹介し、恩着せがましく語らずに10年を過ごした。豊里さんはそれを「道先案内人」と呼び、「社会資本を預かっている感覚」と言う。資本を配るアロケーターになる前に、信用を配る人だった。
ただ、本人は「いま、その狭間にいる」とも言った。求めない姿勢が生んだセレンディピティと、会社として成果を出さなければいけないフェーズ。その狭間で、豊里さんはいま何を考えているのか。
後編では、雇用の外側で動くKOZAROCKSの運営、「壊して創る時代から、活かして創る時代へ」という今年のテーマ、そして「ゆいまーるの街に競争を持ち込むかもしれない」という次の挑戦を聞く。
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