企業はもちろん、政府も積極的に推進する「リスキリング」。確かに、急速に新しいスキルが登場し続ける現代において、これまでの経験だけを頼りにこれからの時代を生き抜くのは難しいでしょう。しかし一方で、リスキリングだけでは育たない力があることも忘れてはいけません。本稿では、AIが当たり前のこれからの時代に必要な<求める能力>の重要性についてお伝えします。
急速に陳腐化する「今、求められているスキル」
リスキリングが行われている現場では、得てして
- 次に市場で必要とされるスキルは何か
- どの職種に転用できるか
- どのツールを使えるようになるべきか
といった観点から、何を学ぶかが検討される傾向にあります。
もちろん、こうした客観的な視点から考えることは重要です。もう廃れ始めているスキルを今から学んでもほとんど意味がありません。問題は、人材育成の焦点が「何が求められているのか」に偏りすぎることにあります。
人間のリスキリングを「世の中で求められているスキルを身につけること」だけに閉じ込めてしまうと、そのスキルは数年、下手をすれば数ヶ月単位で生成AIによって陳腐化するでしょう。
実際、ChatGPTなどLLMをはじめとする生成AIは、すでに多くの領域で人間の作業を補完し始めています。文章を要約する。企画案を出す。コードを書く。比較表をつくる。こうした「求められたこと」においては、大半の人間よりも遥かに優秀です。なぜなら、作業として切り出され、手順化され、評価基準が明確になったものほど、AIの得意分野だからです。
リスキリングだけでは育たない「求める能力」
したがって、今後重要になってくるのは、「求められていることをする能力」だけでなく「求める能力」です。
なぜならLLMは外部の入力(プロンプト)を起点に「次に来る確率が高い応答」を予測する高度な統計的計算機であり、脳の報酬系や生存本能のような内発的動機を持たないため、自発的に何かしらの目的を生み出す意図がないからです。あくまで人間がタスクを与えて初めて動く、受動的な最適化システムなのです。
これに対して人間は、脳や皮膚、臓器といった身体を持ち、生存本能を持つため、単に外部から与えられた入力を処理するだけでなく、不快、違和感、欲求、期待などの感覚を通じて、「何を変えたいのか」「何を実現したいのか」を内側から発生させることができます。
これが、「求める能力」の源です。
では求める能力とは具体的に何なのでしょうか?それは主に次の4つの力となって表れます。
①課題設定力
データ上は問題がなくても、現場の歪みや「なんとなく使いにくい」という身体的・直感的な違和感を敏感にキャッチし、何を解決すべきかを考えられる能力です。
たとえば、KPIはすべて達成しているのに現場の離職が止まらない——数字が「異常なし」を示す場面で、最初に「何かがおかしい」と問いを立てられる人が、この力を持っています。AIは与えられた指標の中で最適化はできても、その指標自体を疑うことはできません。
②共感・インサイト力
他者の表情や声、ちょっとした仕草を感じとり、言葉になっていない本音(潜在ニーズ)を察知する能力です。
たとえば顧客が「特に不満はない」と答えた商談で、その間(ま)や視線のわずかな動きから「本当は別の懸念がある」と気づける人。アンケートの自由記述には決して現れない本音を、場の空気から拾い上げる力です。
③探索・意思決定力
成功確率のデータが乏しく、合理的な計算(受動的な最適化)だけでは進めない未知の領域に対し、リスクを引き受けてでも「挑戦したい」と踏み出す能力です。
前例も市場データもない新規事業で、「これはやる価値がある」と最後の一歩を踏み出させるのがこの力です。
④物語構築力
「なぜこれを成し遂げたいのか」という自身の生々しい動機やビジョンを独自の言葉で語り、他者の内発的動機づけにも火をつける能力です。
同じ事業計画でも、「市場規模が大きいから」と説明する人と、「自分がこの不便を許せないから」と語る人とでは、チームの動き方がまるで違う。人を本気にさせるのは、整った論理よりも、語り手自身の強い想いです。
「求める能力」とは、“違和感”を“物語”に発展させるスキルである
4つの力は別々に見えて、どれか一つでも欠ければ成立しません。違和感を感知できなければ問いは生まれず、語る物語がなければ人は動かない。「求める能力」とは、“違和感”を“物語”に発展させるスキルなのです。
しかし、従来の日本企業は「前例踏襲」や「客観的な数値」を絶対視するあまり、求める能力の起点となる個人の「主観的な違和感」をノイズとみなす傾向が受け継がれてきました。
「求められるスキル」を身につけるリスキリングでは、この本能的な「求める能力」は養われません。今、ビジネスパーソンや企業に問われているのは、正解を効率的になぞることではなく、一人ひとりの違和感を物語に発展させる力をいかに目覚めさせるか、ということなのです。
「求める能力」の鍛えかた
私たちの五感は、毎秒およそ1100万ビットもの情報を取り込んでいます。ところが、意識がそこから処理できるのは、毎秒わずか10〜60ビット程度だと推定されています。意識に上る1ビットの裏側に、数十万ビットの「気づかれない処理」が行われているのです。
近年の神経科学は、この身体の内側の感覚を「内受容感覚」と呼びますが、同分野の研究を主導するアメリカ国立衛生研究所のウェン・チェンは、
直感とは、内受容感覚が無意識の処理から意識的な気づきへと渡る「橋」なのかもしれない
と語っています。
直感や違和感がいわゆる才能ではなく、身体に依存するものなのであれば、筋肉などと同様に鍛えることができるはず。実際、自分の心拍を内側から感じ取る訓練によって、身体感覚の精度を高められることも報告されています。
では具体的に何をすれば良いのでしょうか。カギになるのは内受容感覚への意識と、現場に身体ごと赴くことです。
「気のせいだろう」をやめる
会議で相手の提案を聞いたとき、データ上は妥当なのに胸のあたりがざわつく。その小さな感覚を「気のせい」と握りつぶさず、「なぜ自分はいま違和感を感じたのか」と一度立ち止まって言葉にしてみる。内受容感覚は、注意を向けるほど解像度が上がるので、直感を握りつぶす癖をやめることが、第一歩になります。
「データだけで判断する」をやめる
近年、商品開発やマーケティングにも活用されているエスノグラフィー(行動観察)という手法があります。もともとは文化人類学の研究方法で、ある民族を理解するためにその生活に入り込み、既存の価値基準やフレームワークを使わずに、行動を細やかに記録していくやり方です。
効率を重視すれば、AIや統計資料から得られたデータをもとにプロジェクトを進めたり、あらかじめ仮説を立てた上で現場を見た方が良いかもしれません。しかし、違和感は、要約されたデータからは生まれません。
消費者が製品を手に取る様子、現場担当者がため息をつく瞬間、その場の空気のなかに自分の身体を置いて初めて「何かおかしい」というセンサーが作動するのです。
「求める能力」を過信するのはNG
一点、注意しておきたいのは、違和感を取り戻すこと=「身体が言うのだから正しい」と直感を盲信することではありません。先ほど登場したウェン・チェンは、こうも言い添えています。
直感は痛みに似ている。何かを告げてはいるが、それが何かは必ずしも明確ではない。意味のあるデータではあるが、おそらく完全ではない。
違和感は、答えではなくあくまで「問いの起点」であることを忘れてはいけないのです。
まとめ:企業がすべきは「育てること」ではなく「邪魔をやめること」
では、企業側は何をすべきでしょうか。
「◯◯する力」という文脈で語ると、多くの企業は、その能力を研修やカリキュラムに落とし込もうとしがちです。でもそれこそ冒頭で触れたリスキリングの罠。「求める能力」が、手順化された瞬間に「求められたことをする能力」、つまりAIの得意分野に反転してしまいます。スキルとして効率的に習得させようとするほど、それは「求める能力」でなくなっていくのです。
だから企業に必要なのは、足し算ではなく引き算です。新しく何かを与えることではなく、違和感の芽を摘んできた仕組みをやめること。
- 「なんとなくおかしい」と言った人に即座に「で、データは?」と返す会議の進め方。
- 現場から人を引き剥がし、数字とメッセージのやりとりだけで完結させる働き方。
- 正解のない挑戦を減点する評価。
こうした「主観的な違和感をノイズとして抑圧する」習慣を手放すことが、出発点になります。










