2026年のカンヌライオンズで、主役はブランドから個人のクリエイターへと移りました。人的資本が企業の枠を超え、社会を流れ始めている。この現実を、HC+が掲げる「人的資本の社会的共有」という視点から読み解きます。人材を囲い込む時代の先にある、これからの人事と経営のかたちを、具体的な事例とともに考えます。
2026年のカンヌで、主役が入れ替わりました。70年以上にわたり、この祭典はブランドと広告業界のエリートのものでした。今年、その中心にいたのは、個人のクリエイターたちです。公式プログラムに登場したクリエイターは250人を超え、過去最多を記録。ある評論家は、こう述べています。「この業界はまだ、自分たちが主役ではなくなったことに気づいていない」と。人的資本という視点で見ると、この光景は、人材が企業の枠を超えて社会を流れ始めた現実を映しているといえます。
「メディアの一手法」から「事業インフラ」へ
今年のカンヌで起きていたのは、単なる流行ではありません。クリエイターの位置づけそのものが変わりました。これまで、クリエイターを起用したマーケティングは、テレビCMより安上がりな一手法として語られがちでしたが、今年は異なる様相を呈しています。ある報道は、2026年のカンヌを、マーケティングの祭典ではなく価格決定の場だった、と評しています。ブランドは、クリエイターのコンテンツを、他のメディア予算と同じ厳密さで、恒常的に買い付ける仕組みを築き始めました。
その動きは、祭典の外に目を向けても明らかです。リンクトインは6月、自社初のクリエイター向けマーケットプレイスを立ち上げました。メタは、クリエイターの投稿をそのまま広告に変える仕組みの売上を、四半期で100億ドル規模にまで伸ばし、前年の2倍以上としています。ティックトックも、ブランドが起用するクリエイターの集団をあらかじめ組成する仕組みを整えました。いずれも、一時的な実験ではなく、常設のインフラとなっていることに注目しましょう。クリエイターは、いちマーケティング手法から、事業を支えるインフラへと格上げされたのです。
変化を裏づけるように、資本も動いています。カンヌの直前には、大手コンサルティングのアクセンチュアがクリエイター関連企業の買収に合意し、大手タレントエージェンシーと投資ファンドが2億5000万ドル規模のクリエイター向けファンドを立ち上げました。クリエイター全体の稼ぎが、初めて10億ドルの大台を超えたとも報じられています。個人の作り手が生む価値が、投資や買収の対象になる。趣味の延長ではなく、資本市場が本気で値付けする領域になったといえます。
タレントの取り分が反転した
この構造変化は、お金の流れを反転させています。ある評論家の整理によれば、かつてタレントが受け取る取り分は、収益全体の1割から1割5分ほどでした。予算の大半は、制作や流通を担う中間の事業者に流れていたのです。ところが今は、タレント個人が大きな取り分を得て、中間業者を飛ばすようになっています。
規模も広がりました。同じ評論家は、カンヌに集まったクリエイターが前年の400人から500人に増えたと述べています。かつては、個人の作り手が価値を生んでも、その成果の多くは企業や制作会社に吸い上げられていました。いま起きているのは、その成果が、価値を生んだ個人の手元に、より直接的に残るようになったという変化です。価値の分配の当たり前が変わりつつあるのです。
これは、広告業界に限った話ではありません。かつて、専門的な知識やスキルを持つ人が、その価値を世に届けるには、企業や仲介者を通す必要がありました。いまは、個人が直接、市場や顧客とつながれます。仲介の層が薄くなるほど、価値を生んだ本人の取り分は大きくなる。スキルを持つ個人にとって追い風となる構造が、広い範囲で広がりつつあります。
個人が、人的資本のユニットになる
ここに、人的資本という視点で見逃せない転換があります。かつて、優秀な人材は企業に囲い込まれていました。その人の力は、会社の看板の下で、組織の一部として発揮されるものでした。つまりこれは、個人の名前が、市場で直接、値付けされることは多くなかったということを意味しています。
いまは違います。個人が、自分の専門性や実績、そして何より人々からの信頼とオーディエンスを、自らの資産として持ち歩く。そして、企業に雇われるのではなく、市場から直接、値付けされる。リンクトインが、信頼こそ新しい通貨だと掲げてクリエイター向けの取引の場を用意したことは象徴的です。個人が、一個の「人的資本のユニット」として、社会のなかを流通し始めたといえます。
この動きは、さらに先へ進んでいることにも注目しましょう。有力なクリエイターは、単に発信するだけでなく、自ら会社を立ち上げ、事業を率い、他社に投資する存在になりつつあります。個人が、企業に雇われる側から、企業を持つ側へと回り込む。
人的資本は、これまで暗黙のうちに、企業の中に蓄えられるものとして語られてきました。会社が人に投資し、その人の力が会社の競争力になる、という前提です。クリエイターエコノミーは、その前提を揺さぶります。人的資本が、企業から漏れ出し、個人に宿り、社会を流れる。これはつまり、人的資本が「社会的に共有される」状態だと見ることができます。
囲い込みから、関わり方へ
この変化は、遠い海外の話ではありません。日本でも、同じ変化は進んでいます。副業や兼業の解禁が広がり、フリーランスとして働く人が増え、退職した社員とゆるくつながり続けるアルムナイの取り組みも増加。人材は、一つの会社の中にとどまらず、組織の境界を越えて動くようになっています。
問われるのは、企業の姿勢でしょう。終身雇用を前提に、優秀な人材を囲い込む。この発想だけでは、社会を流れる人的資本と向き合えません。求められるのは、人材を所有しようとすることではなく、社会に開かれた人的資本と、どう関わり、どう協働するかを設計することです。囲い込みから、関わり方へ。人事戦略の重心が移りつつあります。
具体的には、正社員として抱える人材だけを人的資本と見なす発想を広げていく必要があるでしょう。業務委託で関わる専門人材、副業で力を貸してくれる外部の人、退職者とのつながり。これらもまた、自社の成果に貢献する人的資本の一部です。所有していなくても、関係を通じて価値を生み出せる。その前提で人材の設計図を描き直すことが、これからの経営や人事に求められるはずです。
「人的資本の社会的共有」という論点
今年のカンヌが映したのは、「人的資本の社会的共有」の具体的な姿だともいえるかもしれません。人的資本が、企業に囲われず、資産として社会を流通する。その変化は確実に始まっています。
ここから、新しい論点に注目できます。一つは、測定と信頼です。企業の中の人材であれば、評価制度である程度その力を測れました。社会を流れる個人の人的資本は、誰が、どう測り、どう信頼するのか。リンクトインが信頼を通貨と呼んだのは、この問いへの一つの答えでもあるでしょう。
もう一つは、開示との接続です。企業単位で進んできた人的資本の可視化が、いずれ個人単位の可視化とつながっていく可能性があります。個人が自らの人的資本を証明し、企業がそれを信頼して受け入れる。その仕組みが整うほど、人材は組織の境界を越えやすくなるはずです。
人的資本を、自社の内側だけで考える時代から、社会を流れる人の力と、どう関わり、どう価値を分かち合うかの時代へのシフト。カンヌ2026は、その様をはっきりと示しています。
次回は、その人的資本の「母集団」そのものに目を向けます。今年の受賞作を手がかりに、誰を働き手として数えるか、その線引きを社会がどう広げているのかを考えます。










