2026年のカンヌライオンズで最高賞に輝いたのは、AIに広告を載せないと訴えるAI企業の広告でした。AIが実行を担う時代に、人にしか残らない価値とは何か。世界最高峰のクリエイティブが示した答えは「判断力」です。AI時代の人的資本投資をどこへ向けるべきかを読み解きます。
2026年のカンヌライオンズで、最も権威あるフィルム部門のグランプリを射止めたのは、意表を突く2本のCMでした。制作したのはアンソロピック社。同社のAI「Claude」のために作られたこの広告は、AIに広告を出すべきではないと訴える内容です。AIを提供する企業が、AIに広告を載せないと宣言する。しかもそれを、世界最大の広告の祭典で最高賞にまで導きました。この結果は、AIと人間の関係について、今年のカンヌが出した最も明快な答えだといえるでしょう。
AIの話ばかりの祭典で、AIは主役ではなかった
今年のカンヌも、AIの話題であふれていました。セッションのテーマも、関連コメントも、多くがAIをめぐるものです。ところが、その熱量とは裏腹に、栄冠はAIそのものには向かいませんでした。30を超えるグランプリのうち、AIを主題にした作品は3つだけ。残りの大半は、人間の観察や勇気、技巧が評価されています。しかもその3作品にしても、AIが人に代わって創作したわけではありません。冒頭のClaudeの広告に加え、グーグルの「Project Genie」、ポーランドのサッカークラブ、ヴィスワ・クラクフのファン向け施策が挙がりますが、いずれもAIを道具として使いこなした人間の企画力が評価されたものでした。
昨年までの空気とは、明らかに違います。少し前までは「AIで何が作れるか」という期待が議論の中心でした。生成AIがコピーを書き、画像を作り、動画まで生み出す。その万能感に、業界全体が沸いていたにも関わらず、です。今年、その熱はいったん落ち着き、問いが入れ替わりました。AIで何を作れるかではなく、AIから何を引き出すか。そして、AIには任せられない、人にしか出せない価値とは何か。関心はそこへ移ったことがはっきりとわかります。
価値の在り処が動いた
この変化を、ある業界関係者は「価値の在り処が動いた」と表現しています。AIが変えているのは創造性そのものではなく、価値がどこに宿るか、という点だという指摘です。
その言葉を解説しましょう。文章を書く、画像を作る、動画を編集する。こうした実行の作業は、AIによって速く、安く、大量にこなせるようになりました。誰でも一定水準のものを出せるようになれば、その工程自体の希少性は下がります。すると価値は、その手前と奥にある工程へ移ります。何を作るべきかを見極める判断、どの表現が人の心に触れるかを感じ取るセンス、時代や文化の空気を読む力。これらはAIには代替しにくく、だからこそ希少になるというわけです。
たとえば、100案のコピーを書く作業は、AIが一瞬でこなします。しかし、その100案から人の心を動かす1案を選び取る目や、そもそもどんな問いに答えるコピーを書くべきかという設計は、依然として人の領域です。作る速さがコモディティ化するほど、選ぶ質のほうが際立ちます。
人的資本の言葉に置き換えれば、投資すべき対象が変わった、ということです。実行のスキルは相対的に価値を下げ、判断や感性、文脈を読む力の価値が上がります。AI時代に磨くべき人の力とは、作業の速さではなく、選ぶ力と見極める力の側にあるのです。
勝たせたのは、人間の判断
冒頭のフィルム部門グランプリに戻ります。この広告を勝たせたのは、AIではなく、人間の判断でした。
まず評価されたのは、着眼点です。競合が自社のAIに広告を導入すると発表した、その機を逃さず、広告を載せないという立場を打ち出しました。市場の動きを読み、あえて逆を張る。この判断は、データが自動で出してくれるものではありません。2本のCMが放映されたのは、2026年2月のスーパーボウルでした。アンソロピック社にとって初の大舞台だったようです。競合が広告付きのAIへ舵を切ると発表した直後というタイミングをあえて選んだこと自体が、戦略的な判断がはたらいたことの証左でしょう。
表現も巧みでした。製品の性能を並べるのではなく、AIとの親密な会話が広告に邪魔される滑稽さを、ブラックユーモアとして描く。深刻な悩みを打ち明けた瞬間に広告が割り込む、その居心地の悪さで笑わせ、考えさせます。何を見せ、何を見せないか。どの間合いで笑いを起こすか。こうした無数の判断の積み重ねが、作品の質を決めていることは明らかです。
審査委員長は、一コマ一コマに機知と勇気と技巧がある、と評しました。機知も勇気も技巧も、いずれも人間の資質です。AIがどれだけ実行を助けても、最後にどれを選び、どこで踏み込むかを決めるのは人間でした。カンヌが最高賞で示したのは、この事実にほかなりません。
注目すべきは、この作品が投じた広告費をはるかに超える話題を生んだことです。製品の機能を売り込むのではなく、広告はどこにでもあってよいのか、という一つの問いをうみました。売り込みではなく視点を示したからこそ、人々は語り、話題は広がっていったのです。何を主張するかを定める。この最も人間的な判断が、成果の起点にありました。
AIを、育成の代わりにしてはいけない
もう一つ、現場から上がった警鐘にも触れておきます。AIが退屈な作業を肩代わりしてくれるのは、歓迎すべきことです。人は、より発想や判断に集中できます。ただし、と多くの登壇者が釘を刺しました。AIを、人材育成の代わりにしてはならない、と。
理由は、判断力の育ち方にあります。若手はこれまで、地道な作業の反復を通じて、良し悪しを見分ける目を養ってきました。数をこなすなかで、なぜこの表現が効くのか、どこで外してしまうのかを体で覚えていく。その下積みをAIがすべて肩代わりしてしまうと、判断力を育てる機会そのものが失われかねません。実行を自動化した結果、肝心の判断力が次の世代に受け継がれなくなる。目先の効率化が、長期の組織能力を衰えさせてしまうというわけです。
第1回で見たCreative Brand部門が、良い仕事が生まれ続ける状態を評価したことを思い出しましょう。持続する組織能力は、人が育ち続ける仕組みの上にしか成り立ちません。AIをどう使うかは、育成をどう設計するかと、切り離せない問いだということです。
日本企業は、どこに投資すべきか
日本企業にとってのヒントは、投資の向き先を考えることにあるでしょう。
AIの導入は、しばしばコスト削減の文脈で語られます。何人分の仕事を減らせるか、どれだけ工数を圧縮できるか。もちろん効率化は重要です。しかしカンヌが示したのは、AIの価値は削減だけではない、ということでした。AIに実行を任せて浮いた時間と人を、判断や発想という、より価値の高い仕事にどう振り向けるか。そこにこそ投資の余地があります。人員を何人減らせたか、という物差しだけでAIの成果を測ると、この投資機会を見落とすことになってしまいます。
リスキリングの焦点も、問い直す価値があるでしょう。AIツールの操作を覚えることは、入り口にすぎません。本当に投資すべきは、その一段上にある力です。つまり、何を作るべきかを見極める判断力、人の心に触れる表現を選ぶ感性、時代の文脈を読む力。そして、その力を次の世代へ引き継ぐ育成の仕組みです。AIに任せる仕事と、人が磨き続ける仕事を、意識して分ける。この線引きこそが、AI時代の人的資本投資の設計図になるはずです。
AIが実行を担う時代に、人にしか残らない価値は何か。カンヌ2026は、その答えを判断力という言葉で指し示しました。問われているのは、その判断力に、どれだけ本気で投資できるか。いま問われているのはそこだといえます。
次回は、今年のカンヌで最大の話題となったクリエイターエコノミーを手がかりに、人的資本が企業の枠を超えて社会にひろがっている様子を考えます。










