「IT人材の奪い合いが苛烈化」「高度IT人材獲得競争の限界」など、奪う/奪われるの文脈で語られがちなIT人材。しかし世界各地で戦争が起き、日本でも“国防”がキーワードになっていく中では、もはや「奪う人材戦略」を続けていくこと自体が難しくなっていきます。今後は、自社だけで抱え込むのではなく、外部との柔軟な連携が不可欠です。それは単なるアウトソーシングではなく、共に成長するパートナーシップの構築を意味しています。ではどうすればいいのか。シリーズ<戦争と人材>最終回となる第3回では、デジタル人材争奪戦の新局面「信頼でつなぐ人材戦略」について考えます。
日本企業が直面している「人材不足の三拍子」

「人材不足」という言葉から真っ先に思い浮かぶのは人数不足でしょう。しかし日本企業が直面しているIT人材不足は、数だけで語れるものではありません。なぜなら、数に加えて、質、そして“接続”の面でも不足だらけだからです。
数の不足

国立社会保障・人口問題研究所が2023年4月に公表した「日本の将来推計人口(令和5年推計)」によれば、日本の生産年齢人口(15〜64歳)は、2020年の約7,509万人から、2070年には4,535万人まで減少すると見込まれています。およそ50年で、働き手の供給源が約3,000万人減る計算です。
これは現在の生産年齢人口の約4割が消えるのに等しい規模であり、東京圏全体の人口を上回ります。同じ推計では、2070年の総人口は8,700万人、高齢化率は38.7%に達するとされています。
質の不足

では移民やAIを導入して数の問題を解決すれば良いのか。話はそう簡単ではありません。情報処理推進機構(IPA)が2025年6月に公表した「DX動向2025」によれば、日本企業の85.1%が「DXを推進する人材が不足している」と回答しています。
米国・ドイツでは「過不足はない」「やや過剰」と回答した企業がそれぞれ約7割、約5割を占め、日本のみが突出して厳しい状況です。
これは企業の自己申告であり、絶対的な不足量を示す数字ではありませんが、それでも経営現場の体感を強く反映していると言えます。現場で判断し、自走できる人材、つまり質の高い人材が不足しているのです。
“接続”の不足

3つ目の課題が、接続の不足です。接続とはすなわち、接続とはすなわち、必要な専門性を持った人材と、信頼に基づく持続的な協働関係を結べているかという問題です。社内に専門性がない、外部に依頼しても自社の文脈を共有できない、副業人材を活用しても単発の外注で終わる——こうした”つながりそこない”こそが、接続の不足の正体です。
つまり、「人が足りない」のではなく「必要な人と、必要なときに、信頼をもってつながれない」のです。この「“接続”不足」の視点を欠いた人材戦略は、採用競争のなかで消耗し続けるほかありません。
問われるべきは、人材をどれだけ所有できるかではないのです。社内外とどれだけ強く、柔軟に、継続的につながれるか。人材戦略の抜本的な転換が求められています。
「人材圏」を広げる――拡張型組織の発想

デイヴィス&スペックマンの「拡張型組織(extended enterprise)」
ここでヒントになるのが、経営学が20年以上にわたって積み重ねてきた「拡張型組織(extended enterprise)」という考え方です。この概念を体系化したのは、米バージニア大学ダーデン経営大学院のエドワード・デイヴィス教授とロバート・スペックマン教授で、2003年の著書『The Extended Enterprise』が起点とされています。
両氏の主張は、表紙にも掲げられた一文に集約されています――「一社では競争に勝てない(You can’t compete and win alone)」。拡張型組織を一言で言えば、企業の競争力を「自社という法人の内側」ではなく、「自社を取り巻く協働ネットワーク全体」の中で築こうとする発想です。
サプライヤー、顧客、開発パートナー、外部専門家、副業人材――彼らは「外部の取引先」ではなく、「自社の競争優位を共に築く構成員」として位置づけ直されます。
両氏が2016年に発表した続編論文「The extended enterprise: a decade later」では、当初サプライチェーン論として始まったこの議論が、知識共有、リスク分担、関係性契約といった広いテーマに拡張していることが確認されています。

ここで重要なのは、拡張型組織が単なる「外注の高度化」ではない点です。
デイヴィスとスペックマンは原著の中で、組織の境界を越えて橋渡しをする人材「バウンダリー・スパナー」を育てることが拡張型組織の成否を分ける、と繰り返し強調しています。
自社の文脈を社外に翻訳でき、自社の利益とネットワーク全体の利益のバランスを取れる人――そういう人材が一定数いて初めて、ネットワークは機能するのです。AI、データ、サイバーセキュリティ。これらの専門家は、もはや一社で囲い込めるリソースではありません。
彼らは複数の場で働くことを前提にしており、企業に求められるのは「採って囲う力」ではなく「ネットワークの一員として呼び込み、長くつながり続ける力」です。フリーランス保護新法(2024年11月施行)や副業・兼業ガイドラインの整備は、こうした拡張型組織を運営する社会的インフラが整いつつあることを意味している、と言えるでしょう。
【事例】組織の拡張に取り組む企業たち

具体例として参考になるのが、ロート製薬の取り組みです。
同社は2016年2月、製薬業界に先駆けて副業を解禁しました。「社外チャレンジワーク」と「社内ダブルジョブ」という二本柱で、社員が他社や他部署の仕事に挑戦できる仕組みを整えています。クラフトビール造りに挑戦した社員、大学のキャリアセンターで学生支援にあたった人事部員――その経験は個人の成長につながり、本業にもさまざまな形で還元されていると言います。
例えば、クラフトビール造りで営業や経理を経験した社員は、本業でも他部署の視点を理解しやすくなったと語っています。大学のキャリアセンターで学生支援にあたった人事部員は、就活生の考え方に直に触れることで、新卒採用の施策にも活かせたと言います。

外部から人材を迎え入れたケースとしては、ヤフー(現LINEヤフー)が挙げられます。
同社は2020年7月、副業人材を社外から受け入れる「ギグパートナー」制度を発表しました。同年10月には4,500人を超える応募者の中から104名が業務を開始。10歳から80歳までの幅広い年齢層、東京以外の16都府県や海外2か国からの参加者を含むこの仕組みは、組織の境界を越える協働の実例として広く注目されました。
人材圏の構築ーー外注から協働へ

注意したいのは、こうした取り組みを「単なる外注」と混同しないことです。仕様を決め、納期を切り、成果物を受け取るだけの取引なら、知見は外部に残ります。これに対して、自社の業務構造、現場の負荷、顧客体験、リスクまで共有して「どこにAIを入れ、どこに人間の判断を残すか」をともに設計するなら、知見は社内にも蓄積されます。
前者は外注、後者は協働です。これからの企業に必要なのは、社員、副業人材、フリーランス、提携企業が互いの強みを持ち寄って価値を生み出す「人材圏」です。
企業がこれから取り組むべき3つのアクション

「人材圏」とは、雇用の有無を越えて、企業の判断と学習に関わる人々の総体を指します。これを支える基盤となるのが、信頼です。ここでいう信頼とは、情報、裁量、判断の一部を相手に渡しても、成果に向かって関係を修正し続けられる状態を指します。
そのためには契約も、情報管理も、責任範囲の明確化も欠かせません。信頼とは、管理をなくすことではなく、任せる範囲をきちんと取り決めることなのです。ではこうした信頼を設計する仕組みを作るにはどうすれば良いのでしょうか。具体的なアクションとしては大きく3つに整理できます。すなわち、リスキリング、人材効率の向上、外部人材との協働です。
リスキリング

リスキリングと聞くと、多くの方が「社員に新しいツールの使い方を覚えさせること」を思い浮かべるかもしれません。しかし、デジタル人材争奪戦の文脈で求められているのは、もっと根本的なものです。それは、社員がAIや外部の専門家を使いこなしながら、自社の事業上の判断を下せるようになることです。
AIは選択肢を示し、データを整理し、シミュレーションも行えます。しかし、どの答えを採用するか。その判断が顧客や社会にどう影響するか。どこまでリスクを取り、最終責任を誰が負うか。最後の判断を下すのは人間です。育てるべき人材像は、「AIに置き換えられない人材」ではありません。「AIを使いながら、自分の頭で判断できる人材」なのです。
こうした人材が社内にいて初めて、外部から招き入れた専門家との対話も成立します。リスキリングは社員個人のスキル向上であると同時に、外部とつながるための”受け皿”を社内に育てる取り組みでもあるのです。
人材効率の向上

ここでいう人材効率とは、省人化やコスト削減の話ではありません。一人の優秀な人材が下した判断を、より効率的に組織全体に広げる仕組みづくりのことを指しています。
- 過去の意思決定を記録する。
- 判断基準を言語化する。
- 外部人材が参加した瞬間に文脈を把握できるよう資料を整える。
- AIで定型作業を圧縮し、人間が判断のために使う時間を確保する。
どれも地味で、即座には成果が見えにくい取り組みばかりです。しかし、こうした地道な積み重ねこそが、限られた人材の知恵を最大化する基盤になります。とくに拡張型組織を目指すのであれば、社内外の人々が同じ文脈の上で判断を下せるかどうかが要になります。
「あの人にしか分からない暗黙知」が多すぎる組織には、外部人材は根を張れません。判断を組織知として残せる企業ほど、人材圏を広げられるのです。
外部人材との協働

総務省統計局の「令和4年就業構造基本調査」によれば、本業がフリーランスである就業者は約209万人にのぼり、年々増加傾向にあります。一方で、彼らを保護する法整備は追いついていませんでした。そこで2024年11月1日に施行されたのが「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」、いわゆるフリーランス保護新法です。
同法は企業がフリーランスに業務委託をする際の、
- 契約条件の書面または電磁的方法による明示
- 納品から60日以内の報酬支払い
- 募集情報の正確な表示
- ハラスメント相談窓口の整備
などを義務づけています。2025年3月には、公正取引委員会が施行後初めて、ゲームソフトウェア業やアニメーション制作業など45社に対して行政指導を行ったと公表しました。違反すれば社名が公表される時代に入ったのです。
これは、外部人材活用が「便利に安く使う」段階を終えたことを意味します。法律は単に個人を守るためのものではありません。企業が外部人材と協働する前提条件を整える役割を果たしているのです。だからこそ、報酬、契約、情報共有、心理的安全性、責任範囲——これらを丁寧に設計できる企業ほど、優秀な外部人材と長くつながり続けられます。
まとめ:人材は「所有するもの」から「信頼でつながるもの」へ
戦争と安全保障が現実の課題として浮上したいま、人的資本はもはや一企業の経営資源にとどまりません。技術主権や経済安全保障を支える戦略的資産として、人材は国家レベルで奪い合われる存在になりつつあります。
そんな時代にあって、企業が生き残る道は「いかに人材を奪うか」だけにはありません。社員を育て、AIを使いこなし、外部人材を「外注先」ではなく「知恵を交換する相手」として迎え入れる。社内外の境界を越えて、判断と学習が循環する組織をつくる——これが、デジタル人材争奪戦の新局面における、企業の戦い方です。
本稿で取り上げたロート製薬の社外チャレンジワーク制度、ヤフーのギグパートナー制度、そしてフリーランス保護新法。一見すると別々の出来事ですが、共通する認識があります。組織の境界は、閉ざすものではなく、設計するものだということです。
人材は、所有するものから、信頼でつながるものへ変わります。ここでいう信頼とは、相手に情報や裁量を渡しながらも、成果に向けて関係を修正し続けられる状態のこと。情緒ではなく、仕組みの話です。その仕組みづくりに取り組める企業だけが、人口減少と安全保障の時代において、自らの未来を切り開いていけるのです。










