「信頼が大切」と語りながら、管理だけが積み上がっていく。多くの職場で繰り返されるこの矛盾は、マネジャー個人の性格の問題ではありません。「信頼」と「安心」を混同したまま、組織が動いてきた構造上の必然です。社会心理学者・山岸俊男の名著『信頼の構造』(1998年)は、その矛盾を精密に解剖し、信頼を「性格」ではなく「戦略」として扱うための視点を提供します。部下を信頼できないと感じているなら、問題はあなたではなく、あなたが依存してきた「仕組み」にあるのかもしれません。
「もっと部下を信頼しましょう」「信頼して任せることが大事です」マネジメント研修や1on1についての書籍をめくれば、必ず登場する言葉です。しかし実際に部下を持つ立場になれば、そう簡単には頷けないもの。責任のある立場ほど、キレイゴトだけで動くわけにはいきません。
同時に、現場では奇妙なことが起きています。「信頼が大事だ」と語りながら、KPIを細かく刻み、進捗を逐一確認し、評価項目を増やしていく。信頼とは真逆の管理主義が進行しているのです。
「信頼が大切」と語る言葉と、信頼に値する関係が築けていない現実。本稿ではこの矛盾について、社会心理学者・山岸俊男の名著『信頼の構造──こころと社会の進化ゲーム』(東京大学出版会、1998年)を手がかりとして考えていきたいと思います。
「信頼」と「安心」の違いを説明できますか?
「信頼」と「安心」の違いを説明してください。こう言われて、咄嗟に答えられるでしょうか。
北海道大学を拠点に、社会的ジレンマや協力行動を研究しつづけた社会心理学者、山岸俊男。紫綬褒章受章者であり、文化功労者にも顕彰された人物です。
そんな彼が『信頼の構造』を通じて主張したのが、「信頼」と「安心」を分けて考えるべきである、ということでした。
信頼
- 相手が裏切る可能性があるにもかかわらず、相手の人格や誠実さに期待すること(=相手の「人柄」を信じる)
- 「相手の人間性や行動特性の評価に基づく相手の意図に対する期待」(p39)
安心
- 自分を裏切る可能性はない、という前提の上で、相手が約束を守ると期待すること(=相手の「立場」を信じる)
- 「相手にとっての損得勘定にもとづく相手の行動に対する期待」(p39)
両者の違いは、買い物の場面で考えるとぐっと分かりやすくなります。
たとえば、長年通っている商店街の八百屋さん。店主は近所の常連を相手にしている以上、傷んだ野菜を売りつければ二度と来てもらえません。だから無茶はしない。
これは「信頼」ではなく、関係の継続性が裏切りのコストを高めることで成り立つ「安心」の世界です。
メルカリの評価システムやAmazonのレビューも、仕組みとしては同じ側に属します。悪い評価がつけば次から売れなくなるという、出品者自身の不利益が、「自分さえ良ければいい」という振る舞いを抑え込んでいるからです。
ここでは他人が信頼できるかどうかを見分けるための感受性やスキルは必要ありません。
一方で、知人から「あの人は誠実だよ」と紹介されただけの個人事業主に、まとまった仕事を発注するとき。あるいは、旅先で評価サイトにも載っていない地元の食堂の暖簾をくぐるとき。
そこでは、相手の所作、視線、言葉の選び方といった情報を頼りに、「この人は信頼に値するか」を自分で見極めるしかありません。
山岸はこうした判断能力を信頼と呼び、社会的知性と呼びました。
やみくもに他人を信頼できると思い込むわけでもなく、「人を見たら泥棒と思え」というような考えに陥るわけでもない。自分の知性を頼りに相手を判断することが重要なのです。
お人好しほど損をする、は”科学的に”間違い
「しかし、部下を信頼して裏切られたら、会社や自分の立場が危うくなる」
「お人好しほど損をするのが世の中だ」
そう思う人も多いかもしれません。ところが山岸がおこなった実験(※)によれば、日頃から「人はだいたい信じられる」と考えている人、つまり「お人好し」の人ほど、信頼できる相手と信頼できない相手を見分ける感度(社会的知性)が高いことがわかったのです。
逆に、「人はだいたい信じられない」と考えている人ほどこの感度が低く、十把一絡げに相手を疑ってかかる傾向が見られました。
この実験からわかるのは、人をとにかく警戒して生きてきた人は、相手を信頼する必要がないかわりに、相手を見極める力を鍛える機会も失っているということ。
逆に、未知の相手と関わり、ときに裏切られながらも信頼を試してきた人は、その経験を通じて見抜く力を養っているということです。
信頼する力と、相手を見極める力は、対立するものではなく、同じ経験の中で同時に育つものだったのです。
つまり、本当の意味で部下を信頼するには、相手の人間性やこれまでの行動特性の評価をもとに自分の社会的知性を使って判断してみることから始める必要がある、というわけです。
※山岸が大学院生の小杉素子と1995〜96年にかけて実施した実験。参加者に冊子を配り、特定の人物に関する情報を読ませたうえで、「この人は信頼に値する行動をとると思うか」を判断してもらう。あらかじめ測定しておいた「一般的信頼の高い参加者」と「低い参加者」で、判断にどんな差が出るかを比較した。
信頼と安心の取り違えが引き起こす、マネジメントの逆走
米調査会社ギャラップが2024年に発表した「グローバル職場環境調査」によれば、日本の従業員エンゲージメント(※)はわずか6%、調査対象140超の国・地域のなかで最低水準でした。
同社は、このエンゲージメントの低さがもたらす機会損失を、日本企業で年間86兆円超と試算しています。
※従業員が自社に対して愛着や信頼を持ち、「組織の目的に向かって自発的に貢献したい」という意欲を持つ心理状態
なぜこんなことが起きているのでしょうか。
山岸の理論を通して現代日本の組織を見てみると、その原因が信頼と安心の取り違えにあることがわかります。
たとえば、近年多くの企業で導入が進んだ1on1ミーティング。本来は部下のキャリアや悩みに耳を傾け、信頼関係を築くための対話の場として広まったはずです。
ところが実際の現場では、週次・隔週でカレンダーに固定された「1on1」という枠が、上司が部下の進捗を漏れなく確認し、タスクの抜け漏れをチェックする場に変質しているケースが少なくありません。
「最近どう?」という雑談から始まったはずの時間が、いつのまにか「あの案件はどこまで進んだ?」「来週までに何を出す?」という確認の連続で終わる。
部下のための時間として始まった制度が、上司が「部下の状況を把握できている」と安心するための装置に転じてしまっているのです。
リモートワークの普及は、この傾向にさらに拍車をかけました。
- Webカメラを常時オンにすることを暗黙のルールにする
- 業務管理ツールで離席時間を可視化する
- チャットの返信速度をモニタリングする
- 業務日報のフォーマットを細かくする
「サボっているのではないか」と信頼ではなく監視で部下を縛ろうとする管理職の振る舞いに、思い当たる読者の方も少なくないのではないでしょうか。
これらに共通しているのは、表向きには「部下を信頼する」「自律的に働いてもらう」と語りながら、実際にやっていることは「相手が裏切れない仕組みをいかに増やすか」という、まさに山岸の言う「安心」の積み上げだという点です。
日本人は信頼するのが苦手
実はこうした安心マネジメントとでも呼ぶべき体制は、今に始まったことではありません。
規則と罰則、目標と評価で従業員を統制し、経営者が安心するための仕組みを積み上げていく。日本の職場が長年依存してきたのは、まさにこの構造だからです。
終身雇用、年功序列、社内の濃密な関係。そこから逸脱すれば自分の評価に響くため、信頼するかどうかを判断するまでもなく裏切りは抑制されてきた、というわけです。
実際、山岸らが日米で実施した代表サンプル調査では、「たいていの人は信頼できる」と答えた人の比率が、アメリカ人47%に対して日本人26%にとどまっています。
つまり、日本人は昔から「安心」をコツコツ積み上げた社会で生きてきたために、ルールの外にいる人が信頼できるかどうかを判断する感性やスキルを磨く必要に迫られてこなかったのです。
「どこかで部下を信頼できない」という日本人管理職のもやもやは、必要以上の安心の積み上げと、日本社会特有の問題に根ざしていると言えるでしょう。
信頼ドリブンのチーム作りのために
Googleが4年かけて発見した、もう一つの答え
「では、安心ではなく信頼で動くチームとはどのようなものか」
この問いに、強力なヒントを与えてくれるのが「プロジェクト・アリストテレス」。Googleが2012年から約4年の歳月と数百万ドルの資金を投じて実施したプロジェクトです。
調査対象は社内180チーム。リサーチチームは、メンバーの能力や経歴、年齢、性別、過去の業績など、考えうるあらゆる要素を分析しました。
「優秀な人材を集めれば成果は出るはず」
「特定の性格タイプを揃えれば強いチームになるはず」
そんな仮説を一つひとつ検証していった結果、導かれた結論は意外なものでした。生産性を最も左右していたのは、メンバーの顔ぶれではなく「心理的安全性」だったのです。
心理的安全性とは、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が1999年に提唱した概念で、「無知、無能、ネガティブだと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられる状態を指します。
ここで強調しておきたいのは、これが「ぬるま湯」とは正反対だという点です。エドモンドソン教授は、心理的安全性と高い基準を両立させた「学習ゾーン」こそが最も成果を生むと述べています。
教授自身が病院で行った調査では、興味深い逆説が観察されました。
心理的安全性が高い医療チームほど、小さなミスや懸念をすぐに報告し合うため、報告される医療ミスの数は表面上多く見えました。ところが実際に発生していた医療過誤の件数は、こうしたチームのほうが少なかったのです。
一方、心理的安全性が低いチームでは、スタッフがミスを隠す、懸念を口にしない、という状態が常態化し、結果的に医療過誤が増えていました。
つまり信頼とは、ミスを許す甘さではなく、ミスを早く出させて学習に変える設計のことだと言えます。
前章で見た「監視で部下を縛る安心マネジメント」がミスを隠す方向に作用するのとは、ちょうど真逆の働きです。
信頼は性格ではなく、戦略である
「とはいえ、自分にはそんなに人を信じる性格的な余裕はない」──そう感じる方もいるかもしれません。
しかし、ここまで見てきた山岸の理論やGoogleの研究が示しているのは、信頼とは性格の問題ではなく、戦略の問題だということです。
信頼とは「任せきりにすること」ではありません。確認をやめることでも、評価を曖昧にすることでも、失敗をすべて許すことでもありません。
部下を信頼できる上司がしているのは、コントロールを手放すことではなく、コントロールの対象を変えることです。
部下を信頼できない上司は、手段を細かく指定します。
どの順序で進めるか、誰に確認するか、いつ報告するか。判断を上に集めることで、失敗の可能性を下げ、安心しようとします。前章で見た1on1や業務管理ツールが、まさにこの方向に振れていました。
一方、部下を信頼できる上司は、目的と判断基準を明確にします。
何のためにやるのか、どこまで任せるのか、どの範囲を超えたら相談するのか、失敗した場合は何を学習すべきか。
管理しないのではなく、管理の対象が「行動」から「目的・範囲・フィードバックの仕組み」へと移っているのです。
この信頼は、「裏切られない前提」ではなく「更新・調整する前提」で成り立ちます。山岸の実験が示したのも、社会的知性の高い人は無条件に相手を信じるのではなく、相手の行動を読み取りながら信頼できるかどうかを判断している、という事実でした。
これを職場に当てはめれば、次のような実務になります。
- 初回から大きく任せる必要はない。失敗しても致命傷にならない範囲で任せる
- 納期を守るか、誤魔化さず報告するか、フィードバックを受けて改善できるかを観察する
- 協力的な行動が確認できたら、任せる範囲を少しずつ広げていく
- 逆に、何度も約束を破る、問題を隠す、学習しないのであれば、関与度を上げる、あるいは任せる範囲を狭める
これは信頼を現実のなかで運用するための極めて実務的な技術です。
本物の信頼とは、相手を盲目的に信じることでも、ましてや裏切られないように縛り上げることでもなく、観察と更新を繰り返す動的なプロセスなのです。
そしてこのプロセスの積み重ねが、あなた自身の社会的知性を養っていくのです。
まとめ:「信頼する力」を磨け
規則を整え、評価項目を増やし、管理ツールを導入しても、他者の行動を完全にコントロールすることはできません。外部パートナーも、業務委託で関わる専門人材も、リモートで働く部下も、すべてを「安心」に変えようとする試みには構造的な限界があります。仕組みの網が細かくなるほど、その外にある問題は見えにくくなっていく。だからこそ今、山岸の言う社会的知性──不確かさの中で相手を見極め、信頼を更新しつづける力──が、マネジメントの核心として問われているのです。
部下を信頼できないと感じている自分を、責める必要はありません。
それは人格の問題ではなく、これまでの組織が「信頼しなくても回る安心の仕組み」に依存してきた結果、信頼する力を鍛える機会が乏しかっただけなのかもしれません。
いまや問うべきは「この部下を信頼できるか」ではないのです。
「どこまでなら任せられるか」
「失敗を学習に変えるにはどうすればいいか」
「信頼の範囲を広げる、あるいは狭める判断基準は何か」
問い方を変えるだけで、見える景色は大きく変わります。
『信頼の構造』が私たちに教えているのは、「もっと人を信じましょう」という素朴なメッセージではありません。
安心に守られた世界から外に出るためには、他者を見極め、リスクを引き受け、関係を更新していく知性が必要だ、ということなのです。










