ヒトの歴史において、人材の価値を測る基準は、決して一定ではありませんでした。
いま私たちは、「人的資本」という言葉のもとで、個人のスキルや経験、さらには意志や可能性にまで価値を見出そうとしています。
しかし歴史を振り返ると、ある時代に評価された人材が、別の時代では全く見向きもされないということは珍しくありません。
その変化が、最も極端なかたちで現れるのが「戦争」という状況です。
戦争は、多くのものを破壊します。しかし同時に、「どのような人間が価値を持つのか」という基準を、強制的に書き換える装置でもあります。
ある時代には“数”が求められ、別の時代には“適性”が重視され、そして現代では“個人そのもの”が価値として語られるようになりました。
本シリーズ<戦争と人材>では、戦争を人材について考える一つのレンズとして、その価値がどのように変化してきたのかを読み解いていきます。第1回では、戦争という極端な環境を手がかりに、「人材の価値はどのように変わるのか」という問いから出発します。
人材の価値を決めるのは「環境」である

- スキルの高さ
- 経験の豊富さ
- 創造性
- 個人の魅力
人材を評価するうえで、これらはいずれも重要な要素です。
しかし、それだけで人材の価値が決まるわけではありません。むしろ歴史を振り返ると、どの要素が評価されるのかは、常に環境によって左右されてきました。
例えば、かつては「字がきれいに書けること」が重要な能力だった時代もありました。しかし現在では、それが評価の中心になることはほとんどありません。
その意味で、人材の価値とは「個人の中に固定的に存在するもの」ではなく、社会や組織が置かれた状況の中で、後から定義されるものだと言えるでしょう。
「戦争」がもたらす環境変化

そして、その前提に立ったとき、戦争という出来事からはさまざまなことが見えてきます。
戦争は、社会の前提条件を一変させます。
- 求められるスピード
- 必要とされる能力
- 許容されるリスク
これらすべてが平時とは異なるものへと切り替わります。
結果として、「価値のある人材」の定義もまた、強制的に書き換えられるのです。
ここで重要なのは、戦争が特別な出来事だから人材の価値が変わるのではない、という点です。
むしろ、環境が変われば価値が変わるという本質が、戦争という極端な状況によって、より鮮明に可視化されているに過ぎません。
この視点から歴史を見ていくと、「人材とは何か」という問いに対する答えが、時代ごとにどのように変化してきたのかが浮かび上がってきます。
では、戦争という環境の中で、人材の価値はどのように変化してきたのでしょうか?
本稿ではいくつかの戦争を振り返り、その様子を一緒に見ていきたいと思います。
ケース①:第一次世界大戦〜「数」の時代〜

1916年「ソンムの戦い」
1916年7月1日、フランス北部。
イギリス軍は、ある作戦を開始しました。
それが「ソンムの戦い」です。
この日、イギリス軍は約10万人の兵士を前線に投入しました。
事前に数日間にわたって砲撃を行い、敵の防衛線はほぼ壊滅していると見込んでおり、兵士たちには、塹壕から出て前進すれば、そのまま敵陣を制圧できると説明されていました。
しかし、実際の戦況はその想定とは大きく異なっていました。
ドイツ軍の防衛線は生き残っており、機関銃が待ち構えていました。前進する兵士たちは次々と撃たれ、倒れていきます。
その結果、わずか1日で約6万人の死傷者が出ました。これはイギリス軍史上、最悪の損害とされています。
なぜ「ほぼ確実に多くの命が失われる」と分かっていながら、それでも前進は命じられたのでしょうか。
そこで見えてくるのが、この時代における人材の価値のあり方です。
当時の戦争は、いわゆる「総力戦」と呼ばれるものでした。国家が持つあらゆる資源を投入し、長期にわたって戦い続ける。そのなかで最も重要だったのは、「どれだけの人員を動員できるか」という点でした。
戦力とは<数>である。
そう考えられていたのです。
言い換えれば、兵士一人ひとりは、かけがえのない存在であると同時に、戦線を押し上げるための<単位>として扱われていたのです。
ソンムの戦いは、その象徴的な事例でした。
「かけがえのない存在」が「単なる数字」に変わるとき
同じような構造は、当時のビジネスの現場にも見られます。
第一次世界大戦が行われていた20世紀初頭は、産業革命を経て、大量生産の仕組みが確立されていった時代でもありました。
工場では作業が細かく分業され、一人ひとりの役割は単純化されていきます。
ここで重要なのは、個々の熟練や個性よりも、「決められた作業を、決められた通りにこなせること」。つまり、誰がやっても同じ成果が出る状態をつくることでした。
その結果、人材は「かけがえのない存在」ではなく、替わりの効く労働力としても捉えられていました。
戦場において人材が<数>として扱われたように、工場においてもまた、人材は<生産を支える単位>として位置づけられていたのです。
ケース②:第二次世界大戦〜「適性」の時代〜

パイロットとして向いているのは誰か?
1939年に始まった第二次世界大戦では、戦争のあり方そのものが大きく変化しました。
第一次世界大戦が「数」による消耗戦であったのに対し、第二次世界大戦では、兵器や戦術の高度化が急速に進みます。
戦車、航空機、通信技術──それぞれが戦局を左右する重要な要素となっていきました。
その結果、単純に「どれだけの人員を投入できるか」だけでは、戦力を測ることができなくなっていきます。
象徴的な例が、航空戦力における人材の価値のあり方です。
航空機の操縦には、高度な技術と訓練が求められます。誰でもすぐに代替できるものではなく、一人のパイロットを育成するには、多くの時間と資源が必要でした。
そのため、各国はパイロットの選抜や育成に力を入れるようになります
イギリス空軍(RAF)のケース
たとえばイギリスでは、空軍パイロットの選抜と訓練が段階的に整備され、一定の試験や審査を通過した者だけが次の訓練へ進める仕組みが作られていきました。
単に志願すればパイロットになれるのではなく、「操縦に適した資質を持つかどうか」が厳しく見極められるようになっていきます。
また、選抜された人材に対しては体系的な訓練プログラムが用意され、限られた人材をいかに育成し、戦力として活用するかが重視されていきました。
人材=<適切に配置されるべきリソース>
同様の変化は、他の領域でも見られます。
暗号解読、レーダー運用、兵器開発──戦争が高度化するにつれて、それぞれの分野において専門的な能力を持つ人材が求められるようになりました。
つまり、人材は<補充可能な単位>から、<適切に配置されるべきリソース>へと変化したのです。
「適材適所」の誕生
このような変化は、同時代のビジネスの現場にも現れています。
20世紀前半から中盤にかけて、企業経営においても「誰をどこに配置するか」という視点が重視されるようになりました。
その背景には、経営学や心理学の発展があります。
たとえば、フレデリック・テイラーは、作業を細かく分解し、それぞれの工程に最も適した労働者を配置することで生産性を高める「科学的管理法」を提唱しました。
また、心理学者のヒューゴー・ミュンスターバーグは、人間の注意力や反応速度、判断力といった特性を測定し、それぞれに適した職務を割り当てるべきだと主張しました。
こうした考え方は、後に適性検査や人事評価の仕組みへと発展していきます。
ここで重要なのは、人材が「かけがえのない存在」として扱われるようになった、というよりも、「適切に配置されることで価値を発揮する存在」として捉えられるようになった点です。
人材は、それぞれに異なる機能を持ち、その機能が最も活かされる場所に置かれてはじめて価値を生む。
これは、第一次世界大戦における<数としての人材観>からの、大きな転換でもありました。人材はもはや、「とりあえずいてくれれば良い」というものではなくなったのです。
ケース③:現代の戦争〜「判断」の時代〜
いつ・誰が・どこを攻撃するか?
近年の武力紛争では、戦争のあり方に大きな変化が起きています。
ドローンや精密誘導ミサイルをはじめとする遠隔兵器・長距離打撃の比重が、急速に高まっているのです。
2020年代に入り、ウクライナや中東をはじめ各地の紛争において、ドローンが主要な戦闘手段として定着しました。かつては前線の兵士が担っていた役割の一部が、遠隔操作されたシステムによって代替されています。
ドローン戦争の特徴は、「判断」と「実行」の主体が別々になりやすいことにあります。
かつての戦争では、前線の兵士が状況を判断し、そのまま行動に移す場面も少なくありませんでした。
しかし現代では、意思決定は司令部や政治レベルで行われ、実際の攻撃は遠隔操作によって遂行されます。
結果として、設備やシステムの高度化によって、かつてほど個々人の技能差がそのまま成果差になりにくいケースが増えているのです。
<適性によって差がつく時代>は終わり、設備・システムによって適性が前提となる時代へと移行した、と言えるでしょう。
「何を実行するのかを判断する力」が人材の価値を決める
「何を実行するのかを判断する力」が人材の価値を決める
では、現在の戦争の評価や結果を左右するのは何なのでしょうか?
それは「その攻撃を行うべきかどうか」という判断そのものです。
どの情報を重視するのか。
どのリスクを許容するのか。
どのタイミングで決断するのか。
これらはマニュアル化できるものではなく、個人の価値観や認識に強く依存します。
同じ技術、同じ戦力、同じ選択肢が存在していたとしても、どのような判断が下されるかによって、その帰結は大きく変わります。
もはや人材の価値を決めるのは、「実行できるかどうか」ではありません。「何を実行するのかを判断する力」なのです。
「やろうと思えば誰でもできる」時代

この構造は、現代のビジネス環境にもそのまま当てはまります。
AIや各種ツールの発達によって、多くの業務は「やろうと思えば誰でもできる」状態に近づいています。
文章の作成、データの分析、画像の生成──かつては専門的なスキルが必要だった業務であっても、適切なツールを使えば一定水準のアウトプットなら簡単に、しかも驚くほど早く、実現できるようになりました。
すなわち、適性が設備・システムによって前提となる時代が始まっているのです。
では、その中で差を生むのは何でしょうか。
言うまでもなく、「判断」です。
同じツールを使っていても、使う人間の判断の違いによって、成果は大きく分かれます。
AIの時代においては使えるのは<当たり前>。人材の価値を決めるのは、「どのように使うかを決める力」=判断の質なのです。
まとめ:人材マネジメントの出発点
本稿では、戦争という極端な状況を手がかりに、人材の価値がどのように変化してきたのかを見てきました。
第一次世界大戦では「数」が、
第二次世界大戦では「適性」が、
そして現代においては「判断」が、人材の価値を決定づける要素となっています。
人材の価値は、個人の中に固定的に存在するものではありません。社会や組織が置かれた環境によって、その都度定義し直されるものなのです。
だからこそ、人材マネジメントの本質は、「人をどう扱うか」という問いにはありません。
どのような環境において、何を価値として定義するのか。
その設計こそが、人材マネジメントの出発点なのです。
シリーズ<戦争と人材>第2回では、視点を日本に移し、私たちが今どのような環境にあるのか、今後どのように環境が変わっていくのかについて考えます。










