評価は「給与」のためじゃない。人的資本経営の誤解と上司の力量とはーー元ニトリ理事・現トイトイ代表の永島寛之氏

2023年から人的資本の情報開示が一部の大企業で義務化。多くの企業が人的資本投資の最適解を求めて模索していますが、頭を抱えている人事担当者も少なくありません。今回は、ニトリで人事部長を務め、現在はトイトイ合同会社代表の傍らで未来組織開発支援を行っている永島寛之氏にお話を伺いました。人的資本経営の現在地と理想的な人事評価制度、現場支援をすべきなのか。人事担当者の目線からヒントを探ります。 

永島寛之氏プロフィール

トイトイ合同会社代表社員 / 中央大学企業研究所客員研究員 / 元ニトリホールディングス理事・組織開発室室長

早稲田大学商学部を卒業後、東レ株式会社へ入社。ソニー株式会社にて欧州向けグローバルマーケティング担当を経て、株式会社ニトリホールディングスに入社。人材採用部長に就任し、ニトリを新卒採用人気ランキング1位(マイナビ調べ)まで引き上げた後に、理事/組織開発室室長に就任。ニトリホールディングスの人事施策の計画の遂行を担当。その後、株式会社レノバ執行役員CHROを経て、2023年2月にトイトイ合同会社を創立。同年、株式会社レノバ HRエグゼクティブアドバイザー、一般社団法人プロティアン・キャリア協会 顧問に就任。

人的資本経営の本質と企業への浸透課題

ーーここ数年で人的資本経営の定義の知名度は高まりました。あらためて、永島様が人的資本経営をどのように捉えていらっしゃいますか。また、企業への浸透度合いについてもご意見をお聞かせください。

人的資本経営とは、「人」を価値創出の源泉と再定義し、従業員の成長を支援しながら企業の価値創造力を高める経営手法です。一見複雑に思われがちですが、根本的には非常にシンプルな考え方です。

この背景には、投資家からの中長期的な「価値創造ストーリー」の提示に対する強い期待があります。財務部門や経営企画部門が事業・経営計画を策定する一方で、人事部門にはその計画を実行するための「価値創造ストーリー」が不足していました。そのギャップを埋めるために、人的資本の情報開示が求められるようになったのです。

現在、人的資本の開示義務は主に大企業に限定されており、中小企業やスタートアップではまだ十分に浸透しているとは言い難い状況です。

また、大企業においても、他社との比較が可能な数値目標の開示にとどまるケースが多く、自社独自のビジネスモデルと連動した「価値創造ストーリー」を実現するための独自の数値目標設定が遅れているのが現状です。その結果、表面的な取り組みに留まっている例が少なくありません。

そのため、現場レベルでは変化を実感できていないのが現状です。

ただし、人的資本経営の潮流は、人材投資を経営課題に押し上げたという点では、大きな役割を果たしています。特に、経済産業省が発行した「人材版伊藤レポート2.0」は、「人的資本経営は人事部門だけの仕事ではなく、企業全体、特に経営層が主体的に取り組むべき課題である」という正しい認識を広めた点で、大きな功績を挙げています。

ーー現場レベルでは課題が多いということですね。では、人的資本経営は本来どのように取り組むべきだったのでしょうか。

そうですね、人的資本経営は本質的には経営全体の課題です。だからこそ、人事部門だけで取り組むのではなく、事業計画や経営計画としっかり連動させることが重要です。人材に関する戦略が孤立してしまうと、企業全体としての一貫性が欠けてしまいます。

具体的に言えば、まず人事部門が事業や経営計画をしっかり把握することが出発点になります。場合によっては、計画の策定段階から経営層や他の部門と連携して、一緒に作り上げていくことが必要です。

そして、その計画を実現するために必要な組織体制やスキルの要件を議論していきます。
さらに重要なのは、「To-Be」、つまり目指すべき姿を明確にすることです。

その上で、それを達成するためにどのような投資が必要なのかをステークホルダーにしっかりと示す。この一連の流れが大事になります。たとえば、「女性管理職比率を5割にする」という目標を掲げるとします。ただそれを数字だけで語るのではなく、その背景や理由をしっかりと説明することが重要です。「女性向け商品の拡充を進める中で、関連部門の増員が必要になる。その中で女性管理職の比率を高める必要があるので、例えば女性向けのマネジメント研修を実施して支援していく」というようなストーリーを描くことですね。


このように、単なる数値目標に終わらせず、事業計画と連動した具体的な人的資本戦略として取り組むことで、説得力が生まれます。そしてそれが、経営課題としての人的資本経営の正しい形だと思います。

人材教育はアプリケーションからオペレーティングシステム(OS)へ再構築


ーー従来の「人的資源」という考え方でも人材投資は行われていましたが、「人的資本」として捉えた場合、どのような違いがあるのでしょうか。

「経営が関与しているか」「事業・経営と人材投資の連動性があるか」という点に大きな違いがあります。

「人材教育」をスマートフォンの「オペレーティングシステム(OS)」と「アプリケーション」で例えるとわかりやすいです。従来の「人材教育」は、スマートフォンで言えば「アプリケーション」の一つでしかありませんでした。特定の課題を解決するために、個別の研修などが実施されていました。例えば、マネージメントが弱いから「マネジメント研修」を単発で行うといったように、個々の課題は解決できるものの、事業や経営への影響は限定的でした。

一方、人的資本経営における「人材育成」は、組織を支える基盤となる「オペレーティングシステム(OS)」のようなものです。事業目標達成に必要なスキル開発に投資するため、事業や経営に直接的なメリットをもたらします。そのため、研修だけではなくて、「評価」「報酬」「配置」などあらゆる人事の施策が「人材教育」をベースに行われていくようになります。

その中でも、OS型の人材教育を実現するには、評価制度を活用し、人材の成長を可視化することが効果的です。

ーーOS型の人材教育における「評価の活用」とは、具体的にどのような方法でしょうか。

本来、評価は人材育成を目的として、社員の1年間の成果と課題を明確にし、その定期的なフィードバックを通じて次年度の目標設定につなげることです。ですから、評価を給与や賞与額の決定に使うことは副次的な機能です。

OS型の人材教育が普及することで、人事に関わるあらゆる施策が人材育成を目的としたものへと変革していく必要があります。たとえば、人材配置も会社都合ではなく、個人の成長に繋がるかどうかという視点で検討されるべきです。

事業とシナジーを生む人材育成こそ、人的資本経営時代における人事のあり方です。人材教育の重要性が高まるにつれ、役員が人材教育を担当するケースや、海外ではCLO(最高学習責任者・最高教育責任者)というポジションも生まれています。

「組織開発=人材開発」と言われる時代になったと言えるでしょう。

人的資本投資は3段階でスキル開花を目指す

ーー事業計画と人材戦略を連動させた人材投資において、意識すべき点は何でしょうか。

重要なのは、「人」への投資ではなく「スキル」への投資という視点です。

たとえば、人材教育において「選ばれた人だけが海外留学に行く」といった制度を持つ企業があります。海外に行く目的が明確であれば良いのですが、多くの企業では目的が不明確なまま留学機会を提供しています。これは「人」への投資であり、「海外留学を提供したものの業務で活かせない」という事態を招きかねません。最悪の場合、せっかく留学機会を提供したにもかかわらず、離職につながってしまうこともあります。

人的資本経営において、正確には「人が持つスキルや経験」に投資することこそが、人的資本投資です。そして、投資するスキルは企業の将来の事業に役立つものでなければなりません。

だからこそ、企業側がまず「人材に求めるスキルの明確化」から始め、事業成長に直結する「スキルへの投資」を行うという順番が重要なのです。

ーースキルを習得した人材が転職してしまう可能性もあると思いますが、人材流出を防ぐためにはどうすれば良いのでしょうか。

悪い表現ですがが、スキルを持ち逃げされないためには、「必要なスキルの明確化」と「効果的なスキルへの投資方法」に加えて、「習得したスキルを発揮する環境の提供」という3段階で実践することが重要です。

たとえば、マーケティングスキルを習得した従業員がいれば、投資後にマーケティング部署への異動機会を提供するなどです。

もちろん、人材と向き合って「習得したいスキルがあるか」を把握しなければ、一方的な投資になってしまうため注意が必要です。事業成長に必要なスキルを明確にすることと並行して、従業員のキャリアプランを把握しておくことも、人的資本投資を成功させるために重要なポイントです。

人的資本経営を成功に導くのは「マネジメントの育成力改革」


ーー事業との連携に加え、従業員と向き合うことの重要性も理解できました。
  労働人口が減少する日本では、正社員だけでなくフリーランスなど多様な人材の活用が求められますが、そのためには何に取り組むべきでしょうか。

まず、人材活用を考える前に、マネージャーが自身の業務を深く理解することが重要です。具体的には、ジョブディスクリプションを作成し、「どのような業務なのか」「どのようなスキルが必要なのか」を明確にします。そして、作成して終わりではなく、コミュニケーションを通じて継続的に見直していくことが大切です。

ジョブディスクリプションを作成することで、明確な業務の切り出しが可能になり、マネージャーは自身の組織に不足しているスキルを把握できます。日本のマネジャーは総じてこの業務の切り出しを苦手にしている方が多いです。これができれば、計画的な採用が可能となり、「とりあえず採用して短期で離職してしまう」といった失敗を防ぐことにも繋がります。

ーー採用だけでなく、組織の現状把握にもジョブディスクリプションが活用できるのですね。
  採用という観点では、ジョブディスクリプション作成を通じて必要なスキルや業務が明確になれば、求める雇用形態について検討する必要はないということでしょうか。

その通りで、これからは雇用形態にこだわることなく採用を進めるべきです。

正社員として雇用できる人材は、減少していくことが考えられます。そのため、フリーランスの活用が不可欠となりますが、フリーランスとの契約では「業務内容」や「成果物」の明確化が求められます。つまり、企業はあらゆる雇用形態に対応できるよう、ジョブディスクリプションを整備せざるを得ない状況と言えます。

余談ですが、個人的には「人材不足」という言葉は人材会社が作り出したものであり、実際は「人材を十分に活用できていない」というのが実情だと考えています。だからこそ、ジョブディスクリプションを適切に活用することで、人材活用を推進することも求められます。

ーーたしかに、ジョブディスクリプションによって人材活用の課題も解決できる可能性があるのですね。採用後、マネージャーはどのようなことに注力すべきでしょうか。

期中の1on1が十分に実施されていないケースが非常に多いため、従業員と向き合う時間を作ることに注力すべきです。そこで話すべき内容は、「目標達成率が何%か」といった進捗確認ではありません。従業員が現在行っている業務が自身のスキルと合致しているかを確認し、もし不足しているスキルがあれば育成支援を行うことまで、マネージャーが担うべきです。

さらに、定期的にマネージャーと振り返りを行うことで、従業員は成長を実感できます。これにより、エンゲージメントが自然と向上し、組織への求心力も高まります。

人事制度ではなく「運用力」が問われる時代


ーー人的資本経営を取り入れるにあたり、理想的な人事評価制度とはどのようなものでしょうか。

多くの企業では、等級・グレードを基準とした人事評価制度が設けられ、「何ができたら何等級なのか」といったあるべき人物像が基準となっています。

人的資本経営を取り入れるためには、「どのような人材を評価することで企業が成長していきたいのか」を明確にした上で、等級・グレードを当てはめていく評価制度が望ましいと考えます。これにより、組織文化に合った評価軸となり、経営計画と連動した評価がしやすくなります。

もちろん、単一の評価軸にこだわる必要はなく、極論、10個の評価軸があっても問題ありません。

ーー「評価したい人材に合わせて等級を設ける」という発想はありませんでした。このような評価方法は、企業はすぐにでも取り入れるべきでしょうか。

このような評価方法を採用している企業は少ないと思いますが、今の評価制度に課題を感じていても、すぐに制度自体を変更するのは避けた方が良いと考えます。

重要なのは評価制度そのものではなく、マネージャーの「制度運用能力」です。安易に評価制度を変更してしまうと、問題が生じた際に「評価制度の問題なのか、運用能力の問題なのか」が判別しにくくなってしまいます。

そのため、まずは現在の評価制度を適切に運用し、運用能力を高めてからでないと、本質的な課題が見えてきません。

そして、この運用能力を高めるためには、経営戦略としてマネージャーへの教育機会提供が不可欠です。組織として運用力が重要なスキルであることを認識し、適切な投資を行うことで、運用力は向上します。

ーーマネージャーの評価制度の運用能力以外に大事なことは、どのようなことが挙げられますでしょうか。

これまで以上に、丁寧な人事の実践が重要になります。

経営環境は複雑化し、従業員も多様性を求める時代です。求心力だけで組織を維持することは難しくなってきました。従業員一人ひとりの持つスキルや伸ばしたいスキル、そして組織の経営戦略や成長に必要なスキルと常に照らし合わせ、個人のキャリア志向と組織とのシナジーを見極めていくことが求められます。

30名程度の組織であれば丁寧な対応も可能かもしれませんが、100名単位になると困難です。そのため、タレントマネジメントシステムなどのテクノロジーを活用し、従業員の状態を効率的かつ正確に把握することも必要です。これにより、一人ひとりと向き合う時間を充実させ、運用力向上に最大限注力するための時間を確保できるようになります。

取材の最後に、永島さんの考える「CHROとは」を言語化していただきました

まとめ

人的資本経営とは、現代ではもはや経営課題であるため、経営者が取り組むべき事象と認められています。

人的資本経営の本質である「価値創造ストーリー」に着目し、手段にとらわれずAs-IsとTo-Beと捉えることが第一歩です。さらに、経営と人事が連携することはもちろんですが、人事としては仮説を立てて経営と擦り合わせることも求められます。

そして、若い世代を中心に組織と囲われなくなる働き方・志向性が広まるため、会社への帰属意識はどんどんと希薄化していきます。だからこそ、人事は丁寧に組織を作り、人材をマネージできる環境と管理体制を整え、エンゲージメントを高めなければなりません。一見すると事業成長とはかけ離れているように感じますが、人的資本投資が企業の成長を支えるカギになります。

ぜひ今後の企業経営や人材戦略にお役立てください。

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執筆者
HUMAN CAPITAL + 編集部

「HUMAN CAPITAL +」の編集部です。 社会変化を見据えた経営・人材戦略へのヒントから、明日から実践できる人事向けノウハウまで、<これからの人的資本>の活用により、企業を成長に導く情報をお届けします。