「AIの活用を前提としつつ、AIに依存しない」。この言葉を掲げるCHROがいます。
2026年8月1日付で株式会社うるるの執行役員CHROに就任する太田昂志氏。アクセンチュアのプリンシパル・ディレクターとして変革を支援する立場から、上場企業の人事トップとして変革の当事者になる道を選びました。
太田氏は2024年12月、当時の株式会社ゆめみ 取締役CHROとして本メディアに登場し、「事業ポートフォリオと人材ポートフォリオの連動」を人的資本経営の中核として語っていただきました。それから約1年半。支援する側の最前線を経て、再びの登場です。
うるるは、「労働力不足を解決し 人と企業を豊かに」をビジョンに掲げる東証グロース上場企業です。入札情報速報サービス「NJSS」をはじめ、IT・AIとクラウドワーカーの力を組み合わせた独自のCGS(Crowd Generated Service)を展開し、働きたくても働けない人々の「埋もれた労働力」を生かすことで労働力不足の解決に取り組んできました。人的資本に関する情報開示では、 金融庁「記述情報の開示の好事例集2025」に事例として選出された企業でもあります。
前編のテーマは、太田氏の意思決定とキャリア観です。AIにキャリアを相談したら何が起きたのか。なぜ支援者ではなく当事者を選んだのか。AI時代のキャリアを考えるすべての人に、補助線となる一本です。
太田昂志氏プロフィール

システムインテグレーター等を経て、株式会社ゆめみに入社。CHRO、取締役、上席執行役員を歴任。その後、アクセンチュア株式会社との経営統合を主導し、統合後はプリンシパル・ディレクターとして、組織人事・チェンジマネジメント領域のコンサルティングに従事。2026年、株式会社うるるに入社。執行役員CHROとして人事領域全般を管掌。
AIは最後まで「アクセンチュアに残る道」を勧めた

— 今回の就任のご連絡をいただいたとき、率直に「当事者側に戻られるんだ」と驚きました。グローバルファームのプリンシパル・ディレクターという立場を手放してまで、当事者の道を選んだ背景から伺えますか。
結論から申し上げると、変革を支援する側ではなく、当事者として意思決定を行い、その結果に責任を持ちたい、と考えたのが理由です。
アクセンチュアでの仕事にはすごくやりがいがありました。クライアントの全社変革に携わり、複雑な経営課題に対して現場に深く入り込む。プロフェッショナルとして成長したいと思ったとき、国内ではお世辞抜きで最高峰の環境です。
一方で、コンサルティングの仕事に向き合うほど、自分たちが提案し、実行を支援した変革が、数年後にどんな成果を生んだのか。その先まで見届けたいという思いが強くなっていきました。だからこそ、経営側として、意思決定とその結果を長期にわたって引き受ける立場に立ちたいと考えたんです。
— 意思決定の際に、印象的なプロセスがあったと伺いました。
AIに相談したんです。アクセンチュアに残るか、うるるに行くか。ほかにも大企業やメガベンチャーからもオファーをいただいていたので、選択肢を並べて聞いてみました。すると、AIは最後まで「アクセンチュアに残る」ことを第一の選択肢として出し続けたんです。
経験できる仕事内容、グローバルでの成長環境、社会的信用、将来のキャリアの広がり、そして待遇。どの指標をとっても、確実にアクセンチュアに残る方が良いんですよね。国内約3万人、世界約78万人という超巨大グループで、プリンシパル・ディレクターとして、さらに役割を広げていく選択肢もありました。だからこそ、離れることには相応の迷いがありました。
— それでも、AIの答えを採用しなかった。
AIは、大量の情報をもとに、言うなれば多くの人にとって「平均的な最適解」を勧めます。でも、自分の内なる声に耳を澄ませたとき、私は平均値ではなく外れ値であっても、大きな可能性を感じられる道を選びたかった。客観的に比較はしましたが、最後は自分の主観を信じました。AIが勧めなかった選択肢を、私は選んだんです。
2100年から見て、よき祖先であれたか
— そのとき、太田さんの中にあった「選ぶ軸」は何だったのでしょうか。
振り返ったとき、次の世代に「誇れる仕事をした」と言えるかどうか。それが、私にとって仕事を選ぶ軸です。
ここ最近ずっと考えているのは、日本を背負っていく次世代、子や孫、さらにその先の2100年以降の世代から見たときに、「よき祖先として、良い仕事をした」と言われるかどうか、という問いです。
私は今30代後半で、フルスイングできるのが60歳までの約20年だとすると、残りの人生で解決できる社会課題のサイズは決まってきています。大きな変革に向き合える機会は、人生の中で決して多くありません。その貴重な時間を、うるるで働く皆さんとともに過ごしたいと思ったんです。
特に「SaaS is Dead」という言葉に象徴されるように、AIの進化によってSaaSの成長モデルは大きな転換点を迎えています。そうした変化の中で、SaaSも提供するうるるが、業界の中で次の成長モデルをどう描き、実現していくのか。その変革を経営の当事者として担うことに意義を感じました。
— かつて経営を担ったゆめみでの約3年間は、どんな位置づけになりますか。
参画したのは300名規模のときで、1000名規模を見据えた組織づくりと、ゆめみらしい独自の経営の進化に、人事を担う経営者として関わりました。 役割は人事でしたが、経営の中でたまたま人事領域を担当している感覚で、主は経営です。これまで私が経験してきたことのすべての総括があの3年間だったといえるような時間です。人生の伏線回収のようなキャリアの区切りになりました。だからこそ、次は課題のサイズを上げるフェーズだと考えました。
システムを入れても、組織は変わらなかった
— 「経営の当事者でなければ」という確信は、どこで生まれたのでしょうか。キャリアの原点から伺えますか。
当事者として経営の仕事をしたいと思った最初のきっかけは、28歳のとき、新卒で入ったシステムインテグレーターでの経験です。大手総合化学メーカーの研究所向けの仕事で、研究者の知見を循環させるためのナレッジマネジメントシステムを導入するプロジェクトをリードしました。相応の金額のシステムを入れたのに、期待したほど効果が表れませんでした。
おかしいなと思いました。システムを入れたら変わるはずだと。でも、システムを入れても、そこに人の関係性がなければ組織はワークしない。プロジェクトとしては一定の評価を得た一方で、お客様が本当に求めていた変化まで実現できたのかという疑問が残りました。それに愕然として、「経営レベルから働きかけることができれば、組織も変えられるのではないか」と思い、コンサルティング会社に転職しました。人と組織を自分の専門にすると決めたのも、このときです。
— コンサルタントとしては、どんな経験が転機になりましたか。
コンサルタントとして大きな転機になったのは、経営危機に直面するクライアント企業で、次の経営者を育成するプロジェクトに携わったことです。 外から見れば厳しい状況にある企業でしたが、その企業の中を見ると「自社を良くしたい」と真摯に働く人が大勢いました。
にもかかわらず、なぜ企業は苦境に立つことになるのか。わかったのは、結局は組織の作り方だということです。役割設計や評価制度など、一つひとつがちゃんとしていても、全体として整合していなければ組織は望ましくない方向へ進んでいってしまう。担当したクライアント企業も、掲げる企業理念は非常に意義深いものでした。それでも、事業環境の変化にビジネスモデルや組織の仕組みが追いつかず、部分最適の積み重ねが、不正を許す土壌の一つになっていました。
経営レベルから働きかけても、外からの支援では限界がある。支援者側の限界を感じて、ゆめみに参画したときには、経営側として結果まで含めて全部の責任を取る、と決めていました。
支援者と当事者を分けるのは、意思決定の「その後」にある

— 改めて核心を伺います。支援者と当事者の決定的な違いとは何でしょうか。前回の取材では「人事は青臭く泥臭く」というお話が印象的でした。
青臭く泥臭く、は変わりません。その上で決定的な違いは、最終的な意思決定を行い、結果責任を負う立場にあるかどうかだと思います。
外部の支援者は、高い専門性をもって選択肢を示し、変革の実行を支えます。一方、当事者は、さまざまな選択肢から最終的に一つ選び、その判断が数年後に生じる結果まで責任を負います。同じ「変革」でも、担う領域が異なるのです。
これは優劣ではなく、役割の違いです。変革には外部の支援も欠かせません。ただ私は、一社にコミットし、現場の人たちと苦楽をともにしながら、青臭く泥臭くやることに価値を感じました。
勝ち馬に乗るより、自ら勝ち馬になれ
— ここまで太田さんのキャリアについてお伺いしてきました。キャリアに迷う読者へメッセージをいただけますか。太田さんの選択は、世の中の「正解」とは逆に見えます。
「勝ち馬に乗るより、自ら勝ち馬になれ」という言葉を届けたいです。知名度や安定性のある企業を選ぶことも、もちろん一つの選択です。でも、私は勝ち馬に乗っても面白くないと思いました。今回の転職も、すでに勝っている会社よりも、これから勝てる会社になっていく方を選びました。その成長を人と組織という側面から貢献したい。
キャリアの作り方には「筏(いかだ)下りと山登り」という考え方があります。リクルートワークス研究所の初代所長・大久保幸夫さんの言葉で、キャリアの前半は筏で川を下るように、来るもの拒まず機会を受け入れながら経験を広げる。ただ、どこかで筏を降りて、何の山に登るかを決めなければならない。私は営業も開発も事業企画もやってきて、35歳のときに人事という山に登ると決めました。面を広げ、登る山を決めたのです。それ以来、私は人と組織という軸はぶらさず持ち続けています。
2100年を生きる世代から「あの人はよき祖先として、良い仕事をした」と言われる仕事を、今できているか。私は常に、自分にそう問うています。
編集後記:AIが最適解を出せる時代に、人は何を根拠に選ぶのか
前回の取材から約1年半。今回の前編は、見出しに掲げたこの問いが貫いています。
あらゆる客観指標で「残留」を推すAIに対して、太田さんは主観と外れ値を選びました。そして最後に置かれた「勝ち馬に乗るより、勝ち馬になれ」。この二つはつながっています。AIの分析を最大限に活用した上で、最後の意思決定と、その結果への責任は自分で引き受ける。後編の主題である「AIを前提に、AIに依存しない」という思想は、抽象論ではなく、ご自身のキャリアの一番大きな決断で先に実践されていたのだと気づかされます。
後編では、この思想を組織に実装していく方法に踏み込みます。
※後編では、「AIを前提に、AIに依存しない」人的資本経営の実践論をお届けします。AIに何を委ね、何を委ねないのか。人材ポートフォリオと人事制度はどこから変えるのか。そして、雇用契約の外側にいる働き手の人的資本まで。










