ちょっとした「無礼」が組織をダメにする理由【シリーズ:礼節は“旧文化”か?①】

お辞儀をしている和服男性

「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるように、本来どんな間柄でも礼節は大切ですが、特に日本企業においては、得てして目上から目下への礼儀は省かれがち。でももしその“無礼”な振る舞いが、組織の足を引っ張っているとしたら?本稿では、組織における礼節の役割について考えます。

社内チャットで、上司に確認事項を送ったところ、返ってきた返信は、ひと言だけでした。

「それ、今日中で。」

当然これは暴言でもなく、叱責でもありません。上司は本当に急いでいただけかもしれない。強いて言えば、気にするまでもない、ちょっとした「無礼」な態度。それでも、受け取った側の頭には、なんとも言えないモヤモヤが残ります。

「何か怒っているのだろうか」

「追加で質問したら、さらに機嫌を損ねるだろうか」

実はこのちょっとした「無礼」が気づかないうちに組織を蝕んでいるとしたら……。今回はともすれば「旧文化」「時代遅れ」と言われがちな“礼節”の必要性について考えてみたいと思います。

正当化される「インシビリティ」の落とし穴

インターネットとチャットツールの普及で、私たちのやりとりはかつてないほど速くなりました。一往復に何日もかけていた手紙やFAXの時代と違い、今は数秒単位で返信が飛び交います。

それ自体は悪いことではありません。生成AIが定型作業を肩代わりし、メールの下書きや議事録の整理を任せられるようになりました。AIが返してくる文章は、いつも整っていて、丁寧で、礼儀正しい。むしろビジネスメールはAIの得意分野です。そんな中、人間同士のやりとりでも「速さ」が求められるようになっています。

「即レス」は「デキる人」の習慣としてしばしば挙げられ、その結果、

  • 挨拶を省く
  • 前置きを飛ばす
  • 短く、要点だけを話す

といったやりとりが、いつしか「デキる人の流儀」として通用するようになりました。本人に悪意はなく、むしろできる限り早くやりとりを切り上げることで「お互いの時間を尊重している」という感覚さえあるかもしれません。

しかしこうした振る舞いは、職場におけるインシビリティ(incivility)――相手に危害を与える意図は明確でないものの、配慮や尊重を欠いた低強度の言動――の典型例です。明確な暴言や威圧、ハラスメントとは区別される、いわば「グレーゾーンの無礼」と言えるでしょう。

効率化の正当性をまといながら、静かに、しかし確実に相手、ひいては組織のリソースを奪っていく。これがインシビリティの厄介なところです。

「礼節を重んじよう」などと言うと、「令和の時代に古臭い」という意見もあるかもしれません。しかしAIが形式的な礼儀を難なくこなす今だからこそ、人間が人間に向けて払う礼節の重みは、むしろ増しているのではないでしょうか。

以下ではインシビリティが組織を蝕んでいくメカニズムを、組織行動学や心理学の研究をみていきましょう。

インシビリティは「組織の公害」である

かつて日本の工業地帯では、工場の煙突から立ち上る煙が、当たり前の風景でした。煙を出している工場には、悪意などありません。むしろ操業すること自体が、戦後復興と経済成長を支える正当な行為でした。

しかし、その煙は出した本人ではなく、周辺で暮らす人々の肺を蝕んでいきました。被害は静かに、しかし確実に蓄積し、気づいたときには地域全体の健康と暮らしが大きく損なわれていた――。インシビリティもまた、これに似た構造を持っています。

ぞんざいな返信を投げた本人は、ほとんどコストを払いません。一方で、それを受け取った側、そしてそのやりとりを見ていた周囲の同僚は、目に見えないかたちでリソースを奪われていく。一件一件は些細でも、それが日常的に積み重なれば、組織全体のパフォーマンスは確実に低下していきます。

このメカニズムは、近年の組織行動研究や神経科学によって、少しずつ明らかにされてきました。

「無視されること」は、痛い

社会心理学者のナオミ・アイゼンバーガーらは、2003年に興味深い実験を行っています。被験者にコンピュータ上で三人組のキャッチボールゲームをしてもらいながら、その脳をfMRIでスキャンする。

最初は普通にボールが回ってきますが、途中から他の二人(実は仮想のプレイヤー)が、被験者にだけボールを回さなくなる。ただそれだけの、ごく軽い「無視」の実験です。

ではこのとき、被験者の脳では何が起きていたか。驚くべきことに、身体的な痛みを感じたときに活性化するのと同じ脳領域(前帯状皮質)が反応していたのです。つまり、人間の脳は「仲間外れにされること」を、文字どおりの「痛み」として処理している。

これは進化の過程で、集団から排除されることが生存に直結する事態だったことの名残だと考えられています。

  • 挨拶を返してもらえない
  • 会議で発言を遮られる
  • チャットでそっけない返事が返ってくる

こうした「ちょっとした無礼」が、なぜ受け手の頭にいつまでもモヤモヤを残すのか。その答えは、私たちの脳の構造そのものに刻まれているのです。そして痛みである以上、集中力・思考力はそちらに奪われます。仕事に向けるべきリソースが、目に見えないかたちで削られていくのです。これが、低強度の無礼が「効いてしまう」生理学的な理由です。

目撃しただけで、パフォーマンスは落ちる

では、それは組織のパフォーマンスにどう響くのか。組織行動研究者のクリスティーン・ポラスとアミール・エレズらは、2007年に印象的な実験を発表しています。

被験者を集めて、簡単な作業課題と創造性を問う課題に取り組んでもらう。その際、一部のグループでは、実験者役の人物が課題の前に、別の参加者役(実はサクラ)に対して、ぞんざいで失礼な態度を取って見せる。実験そのものとは無関係な、ほんの数分の出来事です。

するとインシビリティの場面を目撃しただけのグループでは、対照群と比べて、

  • 単純作業の成績が低下した
  • 創造性を問う課題でのアイデア数が減った
  • 困っている人を助ける行動(援助行動)が減った

という結果が出ました。つまり、自分が直接失礼な態度をとられたわけでなくても、ただ無礼な振る舞いを目にしただけで、その後のパフォーマンスが落ち、他者に協力する姿勢まで損なわれていたのです。ここに、インシビリティの本当の恐ろしさがあります。

加害者は一人、被害者も一人――という単純な構図ではありません。その場に居合わせた人、後でその話を聞いた人、あるいはチャットのやりとりを横で見ていた人。その影響は波紋のように広がり、組織全体のリソースを静かに削っていくのです。

1人の無礼な人が、組織のナレッジを押さえ込む

さらに大きな問題は、組織のなかにすでに存在している知識や情報が、誰も知らないうちに押さえ込まれてしまうことです。アニタ・ウーリーらが行った集団的知性に関する研究では、複数人のチームに問題解決課題を行わせ、どのようなチームが幅広い課題で安定して成果を出しやすいかを調べました。

成果との関連が示されたのは、優秀な個人を集めることではなく、

  • メンバーが互いの状態を読み取れること
  • 会話が一部の人物に独占されず、比較的均等に行われること

でした。顧客の反応に違和感を覚えた営業担当者、製品の仕様に小さなリスクを見つけた現場担当者、プロジェクトの進行に無理があると感じたフリーランス。彼らが持っている情報は、会議で質問をすると露骨に苛立つ上司がいたり、反対意見を「細かい」「後ろ向き」と否定する文化があったりすれば、上がってきません。

組織は、メンバーの一人ひとりが持っている知識や気づきを集めて意思決定をすることで、はじめて個人を超えた力を発揮します。インシビリティが1人混じるだけで、その集約のプロセスが静かに機能不全を起こしていくのです。

「個人のマナー」ではなく、「組織の設計」の問題

煙突の排煙は、近隣住民の心がけでは消えません。窓を閉める、マスクをする、息を止める――そんな個人の努力で対処できる問題ではないからです。発生源と排出基準を、社会全体で、制度として設計し直すしかありませんでした。

インシビリティもまた同じです。受け手の我慢や、「気にしすぎない強さ」を求めても、問題は解決しません。脳が痛みとして処理し、周囲の生産性まで巻き込んで低下させていくからです。これは個々人のマナーや受け止め方の問題ではなく、組織が向き合うべき設計の問題なのです。

礼節は、ビジネスパーソンの必須“業務”

では組織は具体的に、インシビリティとどう向き合うべきなのでしょうか。「もっと優しくしましょう」と呼びかけるだけでは不十分です。礼節を個人の人柄に委ねる限り、忙しくなった瞬間に元へ戻ってしまいます。

そもそも、これまでの職場における礼節は、暗黙のルールとして共有されていました。もちろん今の時代から見ればインシビリティはたくさんあったかもしれませんが、一方で新人は先輩の振る舞いを見て学びましたし、社内の上下関係もより社会一般に浸透していました。

しかし、世代やバックグラウンドの多様化、リモート環境でのコミュニケーションの減少、生成AIによる「礼儀」の肩代わりーー様々な要因でその暗黙のルールが働かなくなりつつあります。

礼節が暗黙のうちに機能しないのであれば、明文化されたルールとして、あるいは会社の文化として、改めて設計し、根付かせる必要のある「業務」になっているのではないでしょうか。

実際に組織に浸透させるためにやるべきことは多岐に渡りますが、以下の3つはそのきっかけになるはずです。

①「性格」ではなく「行動」で定義する

一つ目は、不作法を「性格」ではなく「行動」として定義することです。「あの人は感じが悪い」という人格評価では、組織は動けません。例えば以下のような形です。

放置されがちなインシビリティ礼節ある行動
発言を途中で遮る最後まで聞き、論点に対して返す
皮肉や嘲笑で反対する懸念と根拠を言葉で具体的に示す
悪い報告に苛立ちを表す報告の早さを評価し、対応策に集中する
期限だけを一方的に伝える目的・優先度・期限を簡潔に添える

②「強い人」に会議の空気を決めさせない

二つ目は、会議を「強い人が空気を決める場」にしないことです。

  • 発言の遮りや嘲笑が起きたとき、ファシリテーターには議題そのものより先にそれを止める権限と責任がある。
  • 重要議題では、声の大きい人だけでなく全員から懸案事項を回収する時間を確保する。
  • 発言しにくい人のための文章で意見を提出する方法も用意する。

こうしたルールを設定することで、礼節を組織内に浸透させていきます。

③管理職を「情報が上がる土壌を育てる人材」として評価する

三つ目は、管理職を「情報が上がる土壌を育てる人材」として評価することです。悪い報告が早く上がってくるか、異論・反論が表に出ているか、同じ人ばかり発言していないか。注意したいのは、これが「優しい管理職を評価する」ことではない、という点です。

人的資本を実際に活用できる状態を、誰が組織のなかで作っているのかを評価する、という発想の転換が必要なのです。

まとめ:その一言を省くのは、誰のため?

「それ、今日中で。」という言葉が、常に不作法なのではありません。本当に急ぎの場面では、簡潔さが必要なこともあります。しかし、もしそのひと言が、普段から人を遮り、冷笑し、悪い報告を遠ざけている人から届いたとしたら、受け手は言葉以上のものを読み取ろうとします。

「何か怒っているのではないか」

「次に話しかけたら、また機嫌を損ねるのではないか」

そうした「読み取ろうとする時間」の総量が、組織のなかで知らないうちに膨らんでいきます。直接やりとりした当人だけではありません。横で見ていた同僚、あとから話を聞いた人にも、見えないかたちで広がっていく。

礼節とは、厳しいことを言わないことではありません。必要な指摘をしながら、相手に余計な恐れや解釈を背負わせないこと。それは、優しい職場をつくるための装飾ではなく、人が本来の力で考え、互いの知識を持ち寄り、協働するための、組織の合理的な業務です。

ただし、礼節を「業務」や「ルール」の言葉だけで語ることは、おそらくスタートであって、ゴールではありません。AIが「礼儀」を出力してくれる時代に、人間が交わす不完全な礼節には、機能を超えた意味があるはず。【シリーズ:礼節は“旧文化”か?】では引き続き、令和の礼節の在り方について考えていきます。

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執筆者
鈴木 直人

あらゆる文脈で急速に「人である価値」が問い直される時代に、企業と人材の関係性の変化を探求中。現場の実践知と経営視点、ときにアートや歴史、科学の分野も渉猟しながら、新たな視点を掘り起こす。ライター歴12年。分野横断の取材を行う。